2012年10月3日水曜日

マッターホルン登山その9

2012年8月19日(日) 晴れ 日程9日目

前日は、失意の中、アパートに帰り登頂祝いのために買っていたビール、ワイン、チーズ、生ハム、サラダにパンと二人で飲んで食べ尽くした。色々と話をしたが、悔しいような悲しいような、心にぽかんと穴が開いたような...。

そして翌日。この日の朝はやや気持ち悪い感じで起床。やはり飲み過ぎた。

さて、どうするか?今、借りているアパートはこの日まで。アパートの玄関に誰が何日まで滞在、と張り出しがあるのだが、この部屋は明日、月曜には借り手があるらしい。もう一度マッターにトライするのであれば、とりあえずこのアパートは出てあと数日滞在できるアパートを探す必要がある。もしくは、マッターに登頂できたら、ということで考えていた、グリンデルワルドに移動してこの街を拠点にしてメンヒとユングフラウに登る案を実行するか。

とりあえず起きてパッキング。

8時半過ぎ、アパートを出て駅前に向かい、まずは天気予報のチェック。
この一週間は、グリンデルワルドはあまり天気がよくなさそう。対してツェルマットは天気がよい。
観光センターの前、駅前広場で座り二人で話をする。途中で食べたかったアイスクリームを買いに行き、朝からアイスをなめなめどうするか、もう一度アタックするなら...、グリンデルワルドに行きたいか...、何をしたいか...、どういう気分か...などなどすっきりするまで話をする。

この日も快晴。たくさんの人が頂上目指して登ってるんやろうなぁ。さぁ、どうする?気力と体力。気力はあるが、実際登り出したら体力が残っていないことを実感するだろうなぁ。でもなぁ...。

ふと、グリンデルワルドに行くならと思い列車の時間を確認しに行った。あと10分後と30分後に電車が出るタイミングだった。それを相方に伝えると...。

「行きましょう、次の場所に行きましょう。マッターはやめましょう。もしあと1週間、時間があって休憩できるなら気分も体力もリフレッシュできて再挑戦もできるけど今の状態では私は駄目かも知れない。だとしたら、初めてのヨーロッパ旅行やし、違うところにも行きたい。」
グリンデルワルド行きの電車に慌てて乗った。

グリンデルワルドの街は、ツェルマットより広い空間に家やホテルが点在してる。ツェルマットは渓谷の小さい街、という感じだったがこちらは開放感がありまた違った趣の街だった。

駅前にある観光センター(日本語OKの観光センターは閉まっていた)に行って今日から泊まれるアパートを探すと、4人用の2ベッドルームのアパートがこの日の朝、格安で貸してもいいわよ、と大家さんから連絡があったそうだ。この部屋が一番安かったので、この部屋にするも大家さんに連絡を入れてもらったが電話に出てくれない。とりあえず、地図(すごくアバウトな観光用散策地図)に印を付けてもらってアパートに向かった。







アパートまで、すごい坂である。下りやからええようなもんの、この荷物背負って帰り登るの、かなりきついでとすでに帰りの心配を始めている。が、アパートと大家さんを探すのに苦労した。

やっとのことで大家さんに出会い部屋に案内してもらう。予想以上に広いアパートで、ベランダからは...

どうだっ!アイガー北壁が目の前に見えるよ〜〜〜〜。めちゃくちゃいいロケーション。

荷物を置いて、駅前まで歩きに行き、次の日から1泊2日で山にあがるので、メンヒ小屋の予約、ユングラフヨッホまでの往復の電車チケット(混む時期なのでできるだけ事前に購入しておく方がよい、と観光局の人に言われたので)、そして食材の買い出しにあの坂を登り返す。

駅前が中心地で、ここにコープがあり買い物をする。日本の山道具店もあるぞ。お土産なども見ながら観光センターに行って切符を買って(手違いがあってはらはらしたけど)家に帰る。

夜になるとアイガー北壁の壁に明かりがぽつぽつと点いた。一番上のリッジにあるのがミッテルレギ小屋の明かりで、その下に斜めに続くのは、アイガーの山の中を走っているユングフラウ行きの列車の途中駅の窓だ。

ふと思い出すマッターホルン。なんだかもぉ1週間も2週間も前の話のようだ。



2012年10月2日火曜日

マッターホルン登山 その8

2012年8月18日(土) 晴れ


5:40 起床
6:00 ソルベイ小屋発
11:00 ヘルンリ小屋着
12:30 ヘルンリ小屋出発
14:30 ツェルマット帰着

5時半頃、小屋の窓から差し込むうっすらした光に目が覚め寝ぼけた頭で、イタリアチームより遅く出てしまうとまた前日のように下降に時間がかかってしまうと考える。相方を肘でつつき、こそっと話をしてすぐに出発することに。とりあえず荷物を小屋の外に出して準備する。

4時20分にヘルンリ小屋を出たガイドパーティが6時にソルベイに到着
昨夜はもぉ下りよう、と言ったのに、ここから見上げる頂上はこの日も綺麗に晴れ渡り、おいでおいで、と誘っているよう。準備しながらじっと見つめて考える。私の優柔不断の虫が動き出す。もう一度、ここから再度頂上を目指せないか?相方に言ってしまった。相方はその気満々。行きましょう、と言う。行きたい、と言う。行きたいよね。行きたいよな。でも、水はない、パスポートはヘルンリ小屋で人質に、これ以上下山が遅れると救助隊などが出動したらかなわない=面倒なことは避けたい、そしてなにより気力があっても登り出すときっと体力が落ちていることに気がつき、前日よりも遅くなることは分かりきっている...ということでやはり下ることにした。この時点でガイド登山の先頭集団、1番目のパーティが到着した。2番目のガイドにはアジア系の女性がついていたが、かなりしんどうそうだった。



ソルベイ小屋に上がるのにガイドパーティも順番待ち
ぼっちら懸垂しつつ下降を始める。小屋直下を下りきるまではルートがはっきりしていたが1つ目の支尾根を越えた辺りから道が分からなくなる。登ってくる人を見てその方向に下りて行ったが、今度は2つ目の支尾根の次が全く分からなくなってしまった。この時点でかなり時間が経っている。あっち行ったり、こっち行ったり。イギリス人のカップルとすれ違う。言葉を交わす。前日、頂上に届かなかったことを言うと、ため息をついていた。自信がないのだろう。でも、この時間にここだと私達よりは可能性がある。
次に韓国人の6、7人のパーティとすれ違う。この人達も道が分からなそう。言葉が分からないので、挨拶だけしてすれ違う。ここでイタリアチームに追いつかれた。そっちとちゃうやろう、という方向へ「道がある。」と言うのでついて行ってしまったらやっぱり違っていて、登り返すはめに。しもた!こういうところは自分を信じるべきだ。
登り返して改めて上から見ると、踏み跡を発見。そこをたどるもどう考えても登りに使った道ではない。でも、しっかりした踏み跡なので間違っていないだろう。この先から2回懸垂して第1クーロアールまで出る。ここからは簡単なルートでヘルンリ小屋まで歩いて下り、11時過ぎに小屋に帰着。パスポートを取り返す際、前日はどこで寝たのか?と聞かれ、ソルベイ小屋、と答えるとソルベイ小屋は20CHFかかるのよ、知ってた?と言われ、知らんと答えたもののしっかり徴収された。イタリアチームは徴収なしで下山していった。

この後、先ほどのアジア人の女性が戻ってきて食堂で片付けをされていたので話しかけてみるとツェルマット在住の日本人の方と判明。半時間ほど話がはずんだ。
現地ではハイキングガイドをされているということで、一度マッターホルンに登りたいということで1年ほど前からトレーニングをしてこられたという。登れて大満足だが2度と登りたくないという。私たち2人がノーガイドで登ったことにいたく感心されていたが頂上に立てなかったのだから感心にも何にも値しない。今度はガイドを付けて登ったらいいのよ、とおっしゃっていたが、それはどうも違うのだ。頂上に立ちたい、というのはもちろんある。けど、それはガイドに連れて行ってもらう、ガイドについて行くだけで立ちたいのではなくて自分達でルートを見つけて登りたいのだ。そんな話をしたが、相方は「登れなかったから負け惜しみにしかなりませんけどね。」と付け足した。ま、その通り。

この方とは、下山後、再度街中で会い、立ち話で盛り上がったが、再度、ガイド付きで行ったらいいのよ、とおっしゃる。が、やはりガイド付きではあまり面白くなくて頂上に立つだけならとっくにそうしている、と負け惜しみなく思うのである。

なにはともあれ、2012年の夏は終わってしまった。あれだけ恋い焦がれてきた山に振られてしまった。

ヘルンリ小屋からシュワルツゼーまでのハイキング道で。
振り返ると〜、そこには麗しき容姿のマッターホルンが〜...さいならっ!



2012年10月1日月曜日

マッターホルン その7

2012年8月17日(金)

はや1ヶ月以上が経ってしまった。更新せな、と思いつつ、次の人生のビッグプロジェクトの準備が忙しくすでに10月に入ってしまった。が、まぁ、こんな私の山行記録もどなたかのお役に立てるだろう、ということでめげずに更新いたします。

天気 晴れ
3:30 起床
4:30 出発
10:29 ソルベイ小屋
11:40 オーバーモズレイスラブ
12:45 ショルダー
14:00 北壁側、撤退決定
19:00 ソルベイ小屋着、泊

あと200mで断念。12時タイムリミットを14時まで繰り下げ、ソルベイ小屋に不要なものを置いて行ったけどあかんかった。
ソルベイまでの道がものすごく分かりにくい。少し慎重になりすぎたところがあって、ちょっとしまったなぁ、という感じ。あとはやっぱりもう少し体力が必要やったかな、と。それと岩登り。相方は体力第一みたいに言うけれど、そんなことは基本の当たり前のことで、それに加えてやっぱりクライミング力=ルートファインディング力と万が一、ルートを間違えてもしっかり戻れる力、みたいなの。

なにはともあれ残念。もう一回再挑戦するか?と言われればよく分からない。

朝日が昇ってきた
 3400mから3600mの間違えやすいところでかなり時間をくってしまった。進行方向左方向に行き過ぎると東壁に行き過ぎで戻らなくてはならない。そうなった場合の無駄な時間を節約したくて迷わないよう、迷わないよう、慎重になりすぎた。当初はソルベイ小屋まではロープで互いを結ばずに登って時間の節約をしよう、と言っていたのだが、私達より1週前に登った知り合いの人に聞くと、「そうやって行けるど、万が一落ちたら終わりやで。」と言われ躊躇してしまった。
とにかく、ものすごく時間がかかった。ソルベイまで長くても4時間で行けたらいいな、と言っていたのだが実際は6時間もかかってしまった。

小屋で、登頂は無理だな、と思った。元々、12時(正午)まで行けるところまで行き、12時になったらよっぽど頂上に近いところにいてない限り下りる、という話にしていた。が、ソルベイ小屋で泊まるとを前提に、不要な荷物を小屋に残し、制限時間を14時まで延ばせないか?と相方が言う。それでもこのペースでは頂上は無理やなぁ、と思いつつ行けるところまで行ったら自分も納得できるよな、と思いこの案でいくことにした。

ソルベイ小屋から上のオーバーモズレイスラブ
この時点でガイドツアーのパーティはすでに頂上に登り下りてきてる。それを見ながら登る。なんとも情けないような惨めな気持ちだ。それでも14時まで登り続ける。そして日陰になり風がきつい北壁側に入った。
北壁まで届いたか...。
ここまでの東面のルートと違って風が吹き出し、気温がかなり下がる。急いで上着と手袋をつける。残雪も出てきた。

そして、14時。
時計の高度計で標高4200メートル後半。直線距離にしてあと200m弱。見上げると頂上は見えている。しかし、最後の鉄ばしごましでは届いていない。鉄ばしごが目の前だったら14時を少し過ぎていても行こうと思っていたが。
このペースだとあと1時間半から2時間...。日没に間に合わない。暗くなるまでに4000mのソルベイ小屋に到着しなくてはいけない。

「下りるで。」

名残惜しそうに上を何度も見上げる相方に言った。

東面から北壁側に入るリッジ

ここから登ってきたルートを下降するが、上からだとどこを登ってきたのか、ラインが見えない。かなり適当に下っていく。北壁側に残置されている残置支点を使いながら懸垂下降して行く。この時点で数パーティいたが、慣れている人はすいすいすいすい、っととっと下りて行ってあっという間に米粒くらいの大きさになってしまった。

下降していると、イタリア側のリオン稜を登ってきたイタリア人パーティーと一緒になった。この人達が使っている支点を使い、同じように下降していったが、中に初心者っぽい人がいてこの人の懸垂のセットが時間がかかりかなり待たされた。話をすると、この人達もこの日の夜はソルベイ小屋に泊まるらしい。この3人に他にリーダーのノンノの友人が数名、ソルベイ小屋に到着するらしい。

ソルベイ小屋に着いたら、前夜、ヘルンリ小屋であまり眠れなかったのもあり、何も食べずにすぐに寝てしまった。9時か10時くらいに数人到着し、その後、夜中1時頃くらいにあと2人ほど到着していた。そんなことは疲れてかまえずとにかく爆睡していた。