2012年10月1日月曜日

マッターホルン その7

2012年8月17日(金)

はや1ヶ月以上が経ってしまった。更新せな、と思いつつ、次の人生のビッグプロジェクトの準備が忙しくすでに10月に入ってしまった。が、まぁ、こんな私の山行記録もどなたかのお役に立てるだろう、ということでめげずに更新いたします。

天気 晴れ
3:30 起床
4:30 出発
10:29 ソルベイ小屋
11:40 オーバーモズレイスラブ
12:45 ショルダー
14:00 北壁側、撤退決定
19:00 ソルベイ小屋着、泊

あと200mで断念。12時タイムリミットを14時まで繰り下げ、ソルベイ小屋に不要なものを置いて行ったけどあかんかった。
ソルベイまでの道がものすごく分かりにくい。少し慎重になりすぎたところがあって、ちょっとしまったなぁ、という感じ。あとはやっぱりもう少し体力が必要やったかな、と。それと岩登り。相方は体力第一みたいに言うけれど、そんなことは基本の当たり前のことで、それに加えてやっぱりクライミング力=ルートファインディング力と万が一、ルートを間違えてもしっかり戻れる力、みたいなの。

なにはともあれ残念。もう一回再挑戦するか?と言われればよく分からない。

朝日が昇ってきた
 3400mから3600mの間違えやすいところでかなり時間をくってしまった。進行方向左方向に行き過ぎると東壁に行き過ぎで戻らなくてはならない。そうなった場合の無駄な時間を節約したくて迷わないよう、迷わないよう、慎重になりすぎた。当初はソルベイ小屋まではロープで互いを結ばずに登って時間の節約をしよう、と言っていたのだが、私達より1週前に登った知り合いの人に聞くと、「そうやって行けるど、万が一落ちたら終わりやで。」と言われ躊躇してしまった。
とにかく、ものすごく時間がかかった。ソルベイまで長くても4時間で行けたらいいな、と言っていたのだが実際は6時間もかかってしまった。

小屋で、登頂は無理だな、と思った。元々、12時(正午)まで行けるところまで行き、12時になったらよっぽど頂上に近いところにいてない限り下りる、という話にしていた。が、ソルベイ小屋で泊まるとを前提に、不要な荷物を小屋に残し、制限時間を14時まで延ばせないか?と相方が言う。それでもこのペースでは頂上は無理やなぁ、と思いつつ行けるところまで行ったら自分も納得できるよな、と思いこの案でいくことにした。

ソルベイ小屋から上のオーバーモズレイスラブ
この時点でガイドツアーのパーティはすでに頂上に登り下りてきてる。それを見ながら登る。なんとも情けないような惨めな気持ちだ。それでも14時まで登り続ける。そして日陰になり風がきつい北壁側に入った。
北壁まで届いたか...。
ここまでの東面のルートと違って風が吹き出し、気温がかなり下がる。急いで上着と手袋をつける。残雪も出てきた。

そして、14時。
時計の高度計で標高4200メートル後半。直線距離にしてあと200m弱。見上げると頂上は見えている。しかし、最後の鉄ばしごましでは届いていない。鉄ばしごが目の前だったら14時を少し過ぎていても行こうと思っていたが。
このペースだとあと1時間半から2時間...。日没に間に合わない。暗くなるまでに4000mのソルベイ小屋に到着しなくてはいけない。

「下りるで。」

名残惜しそうに上を何度も見上げる相方に言った。

東面から北壁側に入るリッジ

ここから登ってきたルートを下降するが、上からだとどこを登ってきたのか、ラインが見えない。かなり適当に下っていく。北壁側に残置されている残置支点を使いながら懸垂下降して行く。この時点で数パーティいたが、慣れている人はすいすいすいすい、っととっと下りて行ってあっという間に米粒くらいの大きさになってしまった。

下降していると、イタリア側のリオン稜を登ってきたイタリア人パーティーと一緒になった。この人達が使っている支点を使い、同じように下降していったが、中に初心者っぽい人がいてこの人の懸垂のセットが時間がかかりかなり待たされた。話をすると、この人達もこの日の夜はソルベイ小屋に泊まるらしい。この3人に他にリーダーのノンノの友人が数名、ソルベイ小屋に到着するらしい。

ソルベイ小屋に着いたら、前夜、ヘルンリ小屋であまり眠れなかったのもあり、何も食べずにすぐに寝てしまった。9時か10時くらいに数人到着し、その後、夜中1時頃くらいにあと2人ほど到着していた。そんなことは疲れてかまえずとにかく爆睡していた。





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