2021年3月31日水曜日

2007年〜2008年年末年始山行

この年末年始山行も記憶に残るものだったなぁ。
計画では、新穂高温泉から入山し、槍平から南岳西尾根→大キレット→北穂→涸沢岳西尾根→新穂高温泉へ、という壮大な計画。
メンバーは、会長、Hくん、私の3人。
この年の年末年始の予報は悪かった。入山日(2007年12月30日)は、曇り空にちらちら降雪。結構な数のパーティが入山していて、ラッセルに苦労することはなかった。
滝谷まで来て休憩。再度進み出して、滝谷出合を渡り、藤木レリーフを通り過ぎたところで、会長が足を止めて、戻ろう、と言い出した。Hくんが風邪気味でしんどそうだったのと降雪が激しくなってきたところだった。時間は昼過ぎだったかな。
槍平まで行くものだと思っていたからちょっと拍子抜けしたけれど、会長が戻ると言ってるのだから、と戻り、すぐそこの滝谷の避難小屋の横でテントを張った。

この後から雪はどんどん降り続き、結局、31日も同場所で沈(ちん)した。滝谷の沢の真ん中にある大きな岩の上にどんどん雪が積もり高くなって行くのを、水汲みなどでテントから出た時に確認しながら、いつまで降るのかなぁ?とのんきなことを考えていた。

さてどうするか、と31日の夜。予報を聞いてもよくはならない状態。ず〜っと降り続く雪。前進は無理だろう、ということで1日に下山することになった。
翌朝、5時頃に起床、朝ごはんを食べながら6時頃のニュースをラジオで聞いていると、槍平で雪崩があり数名が負傷している、とのことだった。
最初はちょっと信じられなかった。その場にいたかも知れない自分たち。なぜか2日前に引き返そうと言った会長。それ以降どかどかと降り続いた雪。そして槍平という場所で雪崩があった、ということ。
坂(傾斜)と雪があるところは雪崩れると思っとけ、とは会長の言葉である。

朝ごはんを食べ終わり下山開始。降り積もった雪を3人でラッセルしながら黙々と歩く。
涸沢岳西尾根への取付あたりで、遭難救助隊とすれ違った。

無事に下山したけれど、視界が開ける場所で周辺を見渡したらとにかくどの斜面にもどっしりと雪が積もっていつ落ちてもおかしくないような、そこらじゅうの山全体が重たい荷物を背負ったような雰囲気だった。

30日の昼過ぎ。私たちが滝谷に戻った後も数パーティが登っていっていた

31日の早朝。前日から止むことなく降り続いた雪。1日の朝も降ったままだった

2021年3月28日日曜日

2007年10月以降 その2

12月の頭に伊吹山にアイゼントレーニングへ行った。一合目から登った。メンバー8人。久しぶりのにぎやかな山行だったけど、メンバーの1人が下りで足が痛いと言い出した。当時は三合目まで車で登ることができたので、車を取りに行き三合目に取って返して近くの病院へ急ぐ、という最後はどたばただった。




そして帰宅後気が付いた。練習用の(でもまだ爪はしっかりあった)アイゼンを三合目に忘れたことを...。どうしようか迷ったけれど、ちょうど仕事が暇な時だったので翌日、仕事をズル休みして取りに行った。三合目の道端に行儀よく鎮座していたアイゼンだった。

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12月半ばには恒例の冬山初めで中央アルプスの宝剣岳と三ノ沢岳へ行った。雪多くて三ノ沢岳の頂上には届かなかったけれど、ラッセルの練習はたっぷりできた。




そして年始年末の山行へ...。

2021年3月25日木曜日

2007年10月以降 その1

キナバルから帰った後は、山岳会の山行であっちへこっちへ。

11月頭、北アルプスへ。新穂高温泉から入山し、槍ヶ岳から南岳、南岳新道を下って新穂高温泉へというルート。

この時、メンバーの1人が低体温症っぽくなっててんやわんやがあったのが懐かしい。なんとか槍ヶ岳肩の小屋のテント場(小屋の最終営業日だった)には到着。テント内で、彼が手を温めようと火に手をかざしていたらなんだか焦げ臭い。気づいたら彼の腕の毛が焼けていた(笑)。体が冷たすぎて熱さを感じなくなっていた。体温が低くなりすぎた時、温める際は注意を。




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11月中旬には比良山で行方不明の登山者の捜索活動に参加した。この1年前に比良山に行かれたまま帰宅されていない当時初老の方の捜索だった。何か手がかりでもあれば、ということで10人以上が集合した。この日は手がかりになるものを見つけることはできなかったけれど、息子さんが「ちょうど一年前にいなくなり、なんとか一年という節目で手がかりを見つけることができれば...」と挨拶されたのが印象に残っている。そうだよな、家族が山に行ったきり帰ってこないって本当に心配になり、不安になり、混乱する。半年経っても1年経っても5年経っても、せめてなにかの手がかりがあれば、と願う気持ちが痛いほど伝わってきた。
この1年後だったか。持ち物のザックが見つかった、という報告があった。息子さんも心の整理ができたことと思う。

2021年3月20日土曜日

キナバル(4095m)

20071025日~28

キナバルは「マレーシア、ボルネオ島北東部のサバ州にある山。マレー諸島の最高峰。左町ではコケ類を除き植物は生育しない」とブリタニカ国際大百科事典にある。また「降雪はないが結氷することがある」とも書いてある。

久しぶりの海外登山。雑誌「岳人」だったか「山と渓谷」だったか、とある旅行会社の格安旅行の広告を見て申し込んだ。キナバルに3泊4日、10万円ほどで行けるという内容。下山後のサバ市内での夕食と翌朝のご飯以外の全食事、足、小屋、ガイド代、飛行機代も含んでの値段だった。


残念だったのは、サバ市に到着した夕食が量が多くて食べきれなかったこと。この日のうちにキナバル自然公園近くの宿泊施設に向かう予定で、夜10時過ぎのお皿てんこ盛りの量に圧倒され、長旅の疲れもあって。少しはいただきましたが、もっと食べたかった!もったいないことをしてしまったと時々思い出す。


キナバル自然公園は世界遺産に指定されており、現地のガイドさんなしに入園(入山)は不可能。こういう規則で、現地の人の雇用を守っているということをこの度で初めて知った。翌朝、現地のガイドさんと合流。このツアー参加の4人(私と父ちゃん含む)と登山開始。




標高が低い場所は熱帯地方特有の雰囲気。日本で見るような花も咲いていた。


距離は登山口からかな?頂上への距離かな?



この日の宿泊は、標高3272mにあるラバン・ラタ(Raban Rata)という山小屋。ここでの食事もおいしかった。寝室で寝ていると廊下を歩く人の振動がもろに部屋中に伝わってきて人が歩くたびにベッドが、いや部屋全体が揺れた。最初はびっくりしたが、慣れてくると今度は床が抜けないか心配になった。


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翌朝、まだ暗いうちからヘッドランプを点けて頂上へ向けて出発。日の出に間に合うように登る。他の登山者も同じように登っていて富士山とまではいかないものの、そんな感じ。



日の出前に頂上に到着

日が完全に出るまで時間を過ごして小屋まで下山、その後、サバ市へというスケジュール。

頂上はやはり4000m越えということも肌寒かった。そうだなぁ、日本でいうと真夏のアルプス3000m辺りといったところか。


頂上直下はひろ〜いスラブ状。ロープが張っていなかったら適当に歩いて間違った方向へ行っちゃうかも。広すぎて4000m付近と思えない。


旅の準備、高度が高いところへ行くにあたって事前に高度順応で富士山へ登った。九合目で泊まったけれど、案の定私はげ~ろげろ状態に。このおかげでキナバルでは高度障害が出ることなく楽しんで登れた。山に対しての備えはお忘れなく。

2021年3月16日火曜日

昔日山行話 2007年8月末 餓鬼岳

中の滝で沢登りのようなクライミングを経験したのちは、三重県の御在所岳(クライミング)、北アの錫杖岳(クライミング)、8月のお盆は、前穂四峰正面(クライミング)と縦走をこなして、8月末に父ちゃんが当時所属していた山岳会の山行で北アルプスの餓鬼岳へ。
天気よくとてもいい山行でしたが、8月末でお盆休みも過ぎているのでそんなに人はいないだろうと思っていたら、小屋はきゅうきゅうの満員御礼だった。
小屋の人は夕食の用意でてんてこまい。そんな中、何があったか知らないが、少々酔っ払ってしまった男性が小屋の人につっかかって喧嘩を始めた。小屋のアルバイトの人も最初は我慢していたが、あまりにヤイヤイ言われるので最後には怒鳴り返していた(そらそーだ)。おじさん、こんな山の中で酔っ払った勢いで必死のパッチで食事の用意をしてくれている小屋の人につっかかっているのが作業の遅延を発生させていると考えられないのか?

さて、こちらでも小問題発生。メンバーの数人が、翌日、燕方面へ縦走して下山したい、と言い出した。10人ほどのメンバーの中でも、仲のいい、悪いがあったと思う。仲のいいと思われる3人組が、頂上からの景色を見、地図を見て翌日別行動をしたい、と言い出した。リーダーの人はうんともすんとも言わない。3人組の勢いに押されている状態。ちょちょちょ、と部外者の私が猛反対してこの計画はなくなったけど、燕まで行った後、どうやってピックアップするの?(登山口はま〜ったく別の場所)携帯は普及していたものの、何かあったらどうするの?なんかいろんなことを考えると、そりゃないだろ〜、ってことで反対したのですがちょっと出すぎた態度だったかな、と思い出すこともある。

翌朝、早い時間から唐沢岳往復して下山。途中でアブにまぶたをやられてお岩さんのような顔で写真に写っている私。前日のお節介の報復か?

唐沢岳頂上ではコマクサがまだ咲いていてきれいだった。そこへ行動食のみかんの皮を捨てる人。ちょちょちょ。ダメですよ、と前日の出すぎた態度ついでに言うと、みかんの皮やから自然に戻るでしょ、の返し。山の中、しかも砂礫の台地にみかんの皮を腐食させる力がどんだけあるというのか?そもそも、ここまで来た他の人がみかんの皮を見たら興ざめすること間違いなし!ということで、私が拾って持って帰った。とほほ。

ぽこんと見えてる頂上が唐沢岳

双耳峰の鹿島槍ヶ岳。いつ見てもかっこえぇなぁ

鹿島槍から左(西)へカメラを向けると立山〜剱岳が見える

振り返ると槍ヶ岳から双六が見える。ほんっとにいい天気だった

2021年3月11日木曜日

昔日山行話 今回は沢登りのようなクライミング

2007年7月22日 場所は大台ヶ原の中の滝。この時は西大台の入山制限がまだなかった時だった。

参加者は私を含めて5人。
記録にも記憶にもあるのが、滝の横を登るのだがとにかく濡れていてクライミングシューズよりも沢靴で登ったほうがよいんじゃないか、ということだ。
所要時間をざっくり書くと、9時20分頃取付き 10時30分1ピッチ目終了~14時45分落ち口到着 16時 駐車場到着、という1日だった。
天気は朝のうちは曇り。途中から晴れて青空が見えたので、大台ヶ原の天気としては文句のつけようなし。

アプローチ途中から見た中の滝

中の滝の取付から見た西ノ滝

3人と2人の2組に別れて登る。1ピッチ目は、いばらの道で痛かった〜。薮のいばらってトゲはとても小さいが、ほんっと痛い〜😢
2ピッチ目か3ピッチ目あたりをリードする3人チーム
上部から遠慮なしに水しぶきがかかる。

さて、このクライミングで覚えていることは...
1つ目。途中のピッチで新品のキャメロットを使ったが、フォローの人が回収できず、そのままになったこと
2つ目。上の写真で見えている滝壺で3人パーティは私たちを待つ間に、水浴びをしていたこと。私も飛び込みたかったが色々と面倒なので諦めた。
3つ目。滝登りが終わって、滝からかなり離れた斜面を登っていた時。ありとあらゆるところがぬめっていてどこを持っても気持ちが悪い状態が続いていた。木をつかんでもよく見ると岩に根が張り付いているだけ、のような状態。左手で木をつかみ右手で目の前の岩に手をかけ、左足は左の木の根に乗り込んだ時だった。右手の大きな岩がぐらりと手前に動き出した。え、なに?と思ったのもつかの間。岩は剥がれてこちらに動き出す。あぶなっ!と思って左側に体重移動したのと岩が斜面を転がり出したのがほぼ同時だった。奥行きのない直径1mくらいの円盤状の岩だった。振り返ると、木の間から宙を切ったのが見えたと思ったら、どっしゃ〜〜〜〜ん!という砕けた音が。その後も砕けた岩があっちへこっちへ飛び散り方々で砕ける音が谷に響いていた。

ひえ〜〜〜。
幸いこの日このルートを登っていたのは他にいなかったので怪我をさせることをはなかったけれど(そもそも登る人がいるんか?というマニアックルート)、ほんっとにぞっとした一瞬だった。

2021年3月6日土曜日

昔日山行話 2007年6月末 燕岳〜北燕岳

ちょうど梅雨時。梅雨晴れを狙って、といえばなんか天気図読めるみたいで賢く聞こえますが、そんなことは当時これっぽちも考えず。山岳会の山行もない時期やったので父ちゃんを誘って行った。

1泊2日のテント泊。父ちゃんにも平等に荷物を持たせて中房温泉から合戦尾根を登った。1日目は天気悪く寒かったけれど、蛙岩などへ雨中散策。

テント場に残雪があるとはつゆとも思わずスコップを持参しなかったらテン場の整地ができず。燕山荘の人に大きなスコップを貸してもらえた。

2日目。晴天。この日の雲海はすばらしかった。


さて、もともと合戦尾根往復の予定だったが、せっかくなので北燕岳から東沢乗越を経て中房川沿いを下ろうということになった。
道の様子を燕山荘の人に聞いたら「残雪があって危ないので行かないほうがいいですよ」と言われた。これを父親に言ったら「そら、小屋の人はそう言うわ。なんかあったらあかんから」と。まぁ、そうか。とりあえず行けるところまで行ってみようか。

北燕岳方面

地図上、東沢乗越へ向かうため右折する(東へ向かう)場所。ここで夏道が隠れていたので直進してしまった。2683mの地点へ行く前に、方角がなんか違うと思って引き返した。北に向かっていることに気づいたのだ。晴れていると地形が読めるのでやっぱり登山するには晴れの日がいい。

少し戻ってよ〜く見ると、残雪の奥に小さい小さい手作り木製はしごがかかっているのが見えた。方向転換してそちらに向かう父ちゃん(↑)。奥に見える山は清水岳や有明山の稜線。

東沢乗越の標識。13年前はまだ字が読めしっかりしていたが今はどうなっていることやら。

中房川沿いの道を赤布を頼りに下る。

東沢乗越から中房温泉までの道は、この頃はまだ歩きやすかったと思う。ただ、人はほんといない。合戦尾根の比じゃない。この道を行くならしっかりした心と装備の準備が必要。右へ左へと渡渉もある。少しでも不安に思うなら行かないほうがいい。当時は所々崩れていた場所もあったが急な場所にはトラロープが設置されていた。あれから台風とか大雨とかあったので今はどうなっているやら...。

2021年3月2日火曜日

昔日山行話 2007年5月 剱岳小窓尾根

今回は2007年5月GW。剱岳の小窓尾根。

この山行は、山岳会内で2つのチームに分かれての山行。チーム早月尾根とチーム小窓尾根。私は、先輩Mさん(リーダー)とH君と3人で小窓尾根へ。ちなみに早月尾根にはうちの父ちゃんが岳友参加。

5月3日 晴
6時40分 馬場島 7時30分 白萩川取水口 8時30分 池ノ谷分岐点 8時40分 雷岩 
14時00分 2121m 15時00分 幕営

馬場島から白萩沢沿いに進み、とある場所で巻道へ入る。H君は巻きに反対で渡渉して進むことを主張していた。沢に雪はほとんどなく渡渉するような状況じゃなかった記憶がある。が、記録を読み返してみると、この高巻きルートはしっかりした登山道もどきで、冒険心がそがれた、と書いてある。



雷岩から小窓尾根に取り付く(↑)藪漕ぎ、雪なし、天気よし。でも暑い。

暑さと藪と格闘後、2100m地点に着いた。少し掘ると笹が出てくる場所だった。テントが笹で滑ったらどうしよう、と心配しながら寝たのを思い出す。

富山湾に沈む夕日


5/4 晴
3時00分 起床 5時00分 2121m出発 6時30分 ニードル 7時20分 ドーム 9時05分 マッチ箱 11時00分 小窓ノ頭手前ピーク 12時10分頃滑落 14時00分 三ノ窓 15時 池ノ谷乗越

天気がいいがルート上、日陰に入ると肌寒い。暖かい飲み物を持っていたが少し冷めていて飲んでも体が温まらなかった。
順調に高度をあげていく。他にもパーティがいるのでなんとなく心強い。協力協定を結んでいるK山岳会の人たちもいてさらに心強い。
人が多いということは順番待ちがある、ということ。ロープを出して登るところなんかは特にそうだ。けど待つしかない。この日もとあるところでH君が、ルートを外れ広い大きな雪璧を登ろう、と言い出した。却下したけど。

朝いち、小窓ノ頭へ向かう。まずはくだって、その後登って、の繰り返し

多分、マッチ箱の通過

マッチ箱通過後も、上ったり下りたり、を繰り返す

右手を見ると早月尾根が見え、登っているパーティが見える。まっすぐな稜線が頂上へ伸びている。
こちらは複雑な稜線を右へ左へ、上へ下へと進む。

小窓ノ王の基部に到着したのは12時ごろ。通常ここは2〜3ピッチほどの懸垂下降をする。その後少し登り返して三ノ窓に着く。懸垂下降の順番待ちが発生するところ。待つしかないだろう。でもH君は、ロープなしで行こうと言う。私はどうも気持ちが悪いのでロープを出したい、と言う。リーダーはなんかもごもご言っていた。H君はとても登れる人だった。自信のある人だった。なのでフリーで行けると思ったのだろう。でも私にはそんな自信はなかった。念には念を入れたかった。リーダーがどう考えてるかは不明だった。結論が出る前にH君はスタタと下りていった。続いてリーダーが下り始めた。ちょっとラインが違うような、と思っていると前爪を乗せた石(岩)がぽろっとはがれた、と記憶している。あっという間に右にカーブしている谷へ滑って彼女が見えなくなった。
ただ「滑落停止〜!」と数回叫んだ。彼女もなんとか停止させようとしているのが見えたが、する〜っと滑っていってしまった。
三ノ窓の手前まで進んでいたH君がザックを下ろし、迎えに行ってくると下りていった。多分、H君のいた場所からリーダーが停止したのが見えていたのだろう。私はK山岳会のロープを借りて懸垂して三ノ窓の基部まで行った。

三ノ窓からみた小窓ノ王基部からの斜面。懸垂している人が見える。

怪我なくリーダーが登り返してきた。よかった。気持ちを落ち着かせてから池ノ谷ガリーを登ったところで時間切れ。池ノ谷乗越でテントを張った。

午後5時頃だったか県警のヘリが飛んできた。乗越にいるのでちょうど目線の高さを、誰かを探すように飛んでいた。どうしたんだろう?なんて話をしながらテントの中から様子を伺っていた。
7時のニュースで、この付近で「男性」が滑落した様子、と流れた。県警が出動したが見つからず「男性」はおそらく無事で、仲間との登山を続けた模様、と言っていた。落ちたリーダーは女性だが、内容からまさに私たちのことじゃないか?えらいおおごとになってしまった。

5月5日 晴
3時00分 起床 5時10分 出発 5時40分 長次郎ノコル 6時40分 剣岳頂上
10時10分 早月小屋 13時15分 馬場島

この日も天気よく朝から快晴。
順調に歩き、雪壁もいくつかこなし頂上へ到着。
頂上への最後の登り

早月小屋までまだまだ。気をゆるめないよう進む。
小屋が見えるところまで来た。早月チームが待っていてくれた。

この後、前日のことの顛末を会長に説明。県警が出動したのはリーダーが落ちた時、付近にいた人が110番してくれのだろう、と推測。なにはともあれ怪我がなくてよかった、という話に落ち着いた。とはいえ、県警が出動するような状態になったのはやはり反省すべきと怒られた。
この直後、早月チームの1人が「警察に通報なんて、余計なことをする人がいたものね」と言った。「余計なことじゃないでしょ?心配して110番してくれた人の親切に対してそういうことを言うもんじゃない。」といさめた。

同じ山岳会に所属していても、意見の食い違いはある。それでも互いが瞬時に納得できるような信頼関係のある人を見つけるのは難しい、と感じた山行だった。
合わないと感じる人との山行は、自分が我慢できる性格でないと難しい。
私は基本的に我慢が足りない人。