2021年2月25日木曜日

昔日山行話 2007年2月 八ヶ岳バリエーション

2月7日〜9日
この山行も記憶残るものなんだなぁ。

同期のH君と2人で行った八ヶ岳。私より1〜2ヶ月遅れて入会したH君。そのモチベーションの高さでぐんぐんクライミングがうまくなり、何かと言うと叱咤されていたが、能力とやる気というものは人それぞれ。私はカタツムリのごとくの上達。しゃぁないやん。

経験者(ベテランメンバー)なしの新人2人での山行。私は八ヶ岳のバリエーション初めての挑戦。H君はどうだったのかな?覚えてない。おそらく2人とも初めてだったんじゃなかったかな?

1日目は入山しテントを張ってからバリエーション初級ルートの石尊稜へ。2日目は中山尾根。3日目は赤岳主稜を登ってから下山、という計画だった。

金曜の夜中、H君の車で雪降る中、美濃戸まで進む。美濃戸口から入り橋を渡ってすぐの登りのピンカーブの登りが一番怖かった。お願いして雪降る中、チェーンをつけてもらった。

翌朝晴れ。順調に計画をこなした。
石尊稜1ピッチ目を終わったところ(↑)。1ピッチ目は土の壁で、気持ちのいい登りではなかった。この後は順調に高度を上げて無事終了。行者小屋のテン場へ戻る。

2日目。中山尾根。中山乗越から取付までの道がなぁんかしんどかったなぁ。
1ピッチ目、このルートの1つ目の核心でもあるが、私の登り方を、ビレイしているH君が「そんな登り方じゃだめだ」「もっとささっと行かな」「本ちゃんはスピードが大事」云々と言われる。うぅん厳しい。
1ピッチ目をフォローしてくるH君

天気よく穂高の山並みも見えた。きれいだな〜。晴れてるって楽しーなー

この日の夜。初日に引き続きずーっとしゃべっているH君。休むことなく話が続く。とにかく延々と動く彼の口。狭い狭いテントの中で永遠に続く話を聞いているとだんだん意識が薄らいでくる。登攀途中もダメ出しを延々と発せられる。まぁ、そら私は下手ですけど。言われても仕方ないけど。でも、でも、ずっと続くおしゃべり...しんどい。

3日目。前日までとは打って変わって悪天候。こんな天気で登るのか?前夜までのだべり攻撃による心身へのダメージも大きい。行くのはいやだ、下山しよう、と主張したが赤岳主稜取付まで行こうと強く言われてしぶしぶ準備をして登り始めた。

視界ない中、本来の取付よりかなり下の方を「ここじゃないか!」と目星をつけて様子を見に行ったH君。雪の状態が不安定っぽく、私は足が進まない。それよりはよ帰りたい...。

この日、主稜ルートを登る6人くらいの学生チームがおり、取り付いていたが(↑)、なんせ視界が悪いので(でしょ?見えへんでしょ?人の姿)彼らが正しい取付にいるのかどうかよく分からず。こちらは、文三郎道を行ったり来たりしているうちに時間は過ぎる。結局、学生チームがいるところ(↑)が正しい取付と分かったけれど(8時半ごろ)、6人くらいが登り始めたところにこの天気。昼過ぎに行者小屋まで下りてこれるのか?いや、無理でしょ〜。ということで私が断固として「帰る。こんな天気で登れるわけがない」と主張して下山。

歩き山行でも少人数の場合や少人数で登るバリエーション登山の場合、気の合う人と登るのが一番。日帰りならともかく、数日山にこもるとなると気が合わないのはつらいよ〜😔

2021年2月19日金曜日

昔日山行話 2006年〜2007年年末年始山行

今回は、2006年から07年にかけての年末年始山行について。
12月30日〜1月3日までの計画。日程は、12/30 新穂高温泉〜涸沢岳西尾根2300m地点、12/31 2300m地点〜白出のコル(穂高岳山荘)、1/1 白出のコル〜天狗のコル、1/2天狗のコル〜西穂山荘、1/3西穂山荘〜新穂高温泉(もちろん?ロープウェイ使用)。予備日は1日か2日取ってたかな?

天気はオール晴天だったが、元日だけは曇天と多少の降雪があり見通しが悪かった。とはいえ前進できないほどではなく、この山行は本当に天気に恵まれた、と言っても過言ではない。

メンバーは、山岳会の会長と当時期待の星だったH君と私の3人。

穂高平牧場から見える穂高の山並み。ここから見えるのは南岳から槍ヶ岳方面の稜線

白出沢を渡る辺りでしょうか。こちらは奥穂〜西穂間の稜線がちらっと見えてます。
稜線は雪が舞って風が強そうですが、本当にいい天気

この後、白出沢を過ぎて少し行くと右側に冬の登山道である涸沢岳西尾根の入り口があります。夏の間は、よく見るとリボンがぶら下がっていますが、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまうような場所です。ここからの急登をひーひー言いながら登り2300m付近の台地にテントを張りました。

2日目。快晴。この日は白出のコルまでです。が、私は確か少ししんどくなっていたような覚えがあります。あまりにしんどかったら下りるぞ、みたいな話があったと記憶していますが進みました。
この時私が考えていたことは、白出のコルまで行って無理なら、涸沢カール方面に下りてエスケープすればいい、でした。が、お分かりの通り、経験の浅さゆえのとんちかんな考えでした。

2300m付近から蒲田富士を目指してまず登ります。上の写真は蒲田富士付近と思われます。涸沢岳までの稜線で一番細くなる場所。強風だとおそらく足がすくんでしまいます。

この後、妙におっそろしい雪壁を必死のぱっちで登り白出のコルへ到着。しんどかったけどなんとか到着。そして、これからどうしようか、私の体力は大丈夫か?ダメならカール側へ下りて...の案は、そのカールをのぞき込んでおバカな考えだったと思い知ります。
たっぷり積もった新雪のカールを下りるなんて...ってヤツでした。ですのでとにかくがんばろうと気合を入れました。

冬期小屋の前にテントを張る
。夏のテント場です。冬期小屋に人がいました。テントと冬期小屋どっちがいいのかなぁ?午後4時前に頂上から下りてくる人(↑)

3日目。元日。
東の空に朝日が。今日もいい天気そうだ

奥穂高岳山頂。山頂標識の左横に見えるのはジャンダルム。そして続く西穂への稜線。
この日は、ジャンを越えて下りたあたりの天狗のコルまで。

正直、この日の内容をあまり覚えていない。山行記録を読み返してやっと思い出すくらい。記録にはかなり疲れておりテント場を整地する際、サボっているようにしか見えないくらいの働きしかできていない、と書いてある。また、夜になると風が強くなりテントが飛ばされそうだった、ともある。

4日目。この日は天気が悪かった。


やっと撮った写真。この日は天狗ノ頭で進む方向を間違い危うい方向へ進んでしまい、おっかなびっくり元に戻る、という場面もあった。強風でもあり視界も10mほど、と記録にある。
で、計画では西穂山荘まで行く予定だったが、中途半端に進んでも、ということで昼の12時ごろにこの日の行動を終わったようだ。間天のコルで4テンを設営するという荒技で一晩やり過ごした。雪があったので4テン張れたけど、夏に行くと、こんな狭いところでよぉ、泊まったな!というくらい狭い。

5日目。天気回復。
間ノ岳への道は、東側が正規ルートなのに、西側を進んでしまった会長。このトラバースはほんっとに恐ろしかった。今思い出しても足がすくむ。ちょっとでも足がずりっとすると奈落の底へまっしぐら。天気がよくて谷底まできれいに見えるもんだから、そしてまた見てしまったもんだから足がすくんだ。

西穂近くまで進んだ時、西穂の北側の小さいピーク前、見上げると上からのぞく人が。久しぶりに見る会長とH君以外の「人」だった。とはいえ、反対方向から登ってきたパーティが3組(2組?)あったが。

頂上へ着くとすごい数の人。冬の西穂の山頂にこんなにたくさんいるのか?
で、ほっとしたのか、涙がぶわ〜〜っと溢れ出す。怖かった、しんどかった、という想いがぐわ〜っと体の中心から湧き上がりそれが涙となって目から流れ出す。H君はそんな私を不思議そうに見ていた。
そんな私を見てか単独行のおじさんが、3人での写真を撮影してくれた。

この後、西穂山荘までももう一踏ん張り。西穂からロープウェイ駅までももう一踏ん張り。

間ノ岳あたりで振り返ったのかな。明神岳(と思う。方角的に)

あぁ、ここまで怖かった〜。しんどかった〜。無事ついてよかったよ〜。

帰宅後は数日、放心状態。ちょっと燃え尽き症候群のような精神状態に。時間が経てば楽しかった、よくやった、と都合のいいシーンばかりが頭に残り再び山に登るのでした。
しかし、何が一番辛かったかって荷物の重さ、でした。軽量化して行ったけどほんま重かったなぁ。