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2025年5月18日日曜日

立山方面へ

2025年5月13日から15日
剱御前、奥大日岳&大日岳
だんさんと

春山へ。
室堂から雷鳥沢、奥大日、大日、称名滝方面へ下るという縦走を最初考えたけど、称名滝辺り、正確には大日平付近の歩きがややこしそうだったので、室堂から入り雷鳥沢のテン場を起点に往復することに。ついでに百高山の剱御前のピークも行くことにした。

天気は3日とも晴れ。恵まれた。暑いくらいだった。

立山駅から室堂までのケーブル&バス乗車券は、ウェブ予約では売り切れで当日早朝から並ぶ。6時前に行ったらすでに10人ほどが。椅子を持ってきて待機してる人もいた。6時40分ごろから発売開始。始発はすぐに売り切れた様子。私らは臨時便の7時20分が取れたが、券売の係員さんが「あと1枚」って言うてた。盛況。

往復チケット1人7400円ほど。高くなったなぁ。


通行止めの地獄谷 なんかガスの出が以前より増してる気がする

雷鳥沢のテン場 ここを使うのは初めて

剱御前へ向かう途中で

雷鳥坂上部から奥大日岳方面 奥のピークが大日岳?遠いなぁ


剱御前 2777m 背後に剱岳

テン場へ帰る途中で立ち寄った御前小舎
豊富な飲み物の種類 でもコーラーとマッチは
賞味期限切れてた(笑)

午後2時半の気温8度 暑い


翌朝 室堂乗越辺りを先行する3人パーティ
この後、奥大日最高地点手前の登りの雪の状態を見て引き返して行った


真ん中に小さく写るおじさんは、奥大日と大日の間で唯一
すれ違った方 おそらく80歳前後 テント担いで単独で
一泊二日の縦走 すごい、の一言


往路、奥大日の手前を歩く私 右に雪庇

下山のバスの中から歩いた稜線を見る
よく歩けたなぁ、と思う

時間、歩いた軌跡などはヤマケイのこちらのページでご覧ください。

しかし、インバウンドのお客さんの多かったこと!テント場でも外国の言葉が聞こえる状態。
8人ほどの団体さんでテント泊だったりと、かなり盛況でした。そんな中、日本人のどっかの山岳会かなんか知らんが、10人パーティが2日目の午後5時半ごろ到着。テント場の管理事務所は閉まった後。9時ごろまでワイワイ、でかい声で話をし、翌朝は4時半ごろから、これまたわいわい。6時過ぎにテント撤収して出発してたけど、テン場代金払って行ったんか?

天気に恵まれてよかったけど、靴下が濡れて大変だった。銀マットを忘れてしまい、テントの床も水が滲みて面倒なことに。ボロボロの銀マットでもないよりマシだった。

なんかもぉ春山って4月中頃までのような気がする。5月に入ったら雪山はちょっと面倒だなぁ、と思った今回の山行だった。楽しかったけど。

2021年10月16日土曜日

栂海新道縦走番外編

ずいぶん時間が経ってしまい、今さらな、情報を並べたいと思います。

どこの山を縦走するにも、水が必要ですが、旅の途中で水場があればとても助かります。栂海新道では、朝日岳から親不知までの間に、4カ所、水を取れる場所があります。
2021年9月末の状況ですが、参考までに列記します。朝日岳から親不知に向かって歩いた場合の順番に書きます。

黒岩平 平の中ほどに沢が流れており、ここを渡る際に簡単に水を得ることができます。水量豊富。水源方向に縦走路がないことからかなりきれいな水であることが推測されるが気になる場合は、要煮沸。

北又の水場 こちらも沢の水。水量豊富。片道3分ほど。汲んで戻って往復10分ほど。2リットルちょっとのパウチ水筒が、1分もあればいっぱいになる流水量。

黄蓮の水場 水量豊富。北又の水場より少しだけ遠いようだ。「ようだ」っていうのはここは私は行かず、ハズだけが行ったのでその様子を聞いたので。

白鳥の水場    白鳥小屋への最後の登りが始まるところに分岐点あり。ここはやや遠い。片道7〜8分ほどか。踏み跡を辿ると、細い細い沢の跡に出くわすが、これが水場ではなく、さらに奥へ進む。この細い沢=枯れ沢が水場だと引き返す人が多いのか、ここまでの踏み跡はしっかり、ここからの踏み跡はやや薄い。とはいえ、しっかり分かる踏み跡なので進む。記録にも書いたように岩の割れ目から湧き出ているので、枯れていることの方が多いと思われる。タオルを濡らすのに、1分ほどかかる水量。
注意 この水場は白鳥小屋=白鳥山頂上からの水が滲み出していると推測。よって白鳥小屋で用を足すときは、その場所に注意すること。反対側にトイレ跡があるのでそちらを使うべし。

シキ割 ここも水量豊富。昔の山地図(エリアマップ)には「飲用注意」と記載あり。地形を見てもなぜかは不明だが、とりあえず「飲用注意」のこと。

いずれも気になるのであれば、煮沸されたし。ただし、煮沸はぐつぐつ状態を1分以上保って初めて煮沸した状態となるので、沸いたからオーケーでない。アメリカの国立公園にバックパックで入山するときそう注意された。

さて、今回の旅のごちそう。
まず朝日小屋の夕食
地元で採れた材料をふんだんに使われております。湯豆腐、陶板焼きには自家製タレ、ホタルイカの沖漬け、ご飯は地元産こしひかり、などなど。

次に、親知らず観光ホテルでの夕食。今回は豪勢に「カニ料理」コース!
カニしゃぶ、天ぷら、お刺身、カニ釜飯などなど、カニのオンパレード。極め付けは、左側に鎮座されているカニ一杯!これ、最初、飾り用かと思って手をつけてなかったら、食べる用、で時間制限ぎりぎりの手前で食べ方(解体の仕方)を教えてもらって急いで食べたのでした。カニ一杯を一人で食べたことなんてなかったので、そりゃもぉびっくり。そしてお腹いっぱい。幸せ〜。

で、朝ごはん。
こちらももりだくさん。ご飯とお味噌汁がまだ登場しておりませんが、地元で採れたかますのようなお魚を七輪で炙っていただきました。このお魚も美味しかったです。盛りだくさんで朝からお腹いっぱい。前日あれだけ食べたのに...。

とまぁ、歩いた後にまぁまぁな贅沢をした旅でした。今回このカニを食べるべく、高度障害が出ないよう、呼吸法を意識して歩いた甲斐がありました。

こんな贅沢な山旅はそうそうできません。9年越しの縦走を果たすこともでき、大変よい思い出となりました。

*写真 by ハズ

2021年6月23日水曜日

昔の山行話 鹿島槍ヶ岳東尾根 2008年5月

6月に入ってから梅雨時の天気予報は変わりやすいので、長期の山行計画は立てておらず、近場で日帰り岩登りばかりしているとあっというまに下旬になってしまいました。

久しぶりにブログをアップしようと思い立ちましたが、やはり昔話をするしかないようです。

今回は、2008年5月のGWに行った鹿島槍ヶ岳東尾根。バリエーションルートです。普通、東尾根を登ると赤岩尾根を経て大谷原へ下りるのが普通なのですが、せっかくなので爺ヶ岳の頂上も通過して爺ヶ岳の東尾根を下りました。

車は鹿島槍スキー場の駐車場に駐車。大谷原のゲートを越えて赤布が目印の場所から東尾根に取りつきます。




しょっぱなから藪漕ぎです。当時持っていた高度計付き腕時計では、1960mあたりまでほぼ雪が出て来ず藪漕ぎ。
とはいえ、12時前には一ノ沢の頭=テン場に到着。最初は数張のテントがあれよあれよというまに10張超え。斜面を切って張ったテントが滑り落ちていかないか他人テントながらヒヤヒヤ。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

テントから真正面に見える沢では、ごーごーと音を立てて岩とブロック状の雪が頻繁に落ちていきます。春の風物詩とはいえあれに巻き込まれたらひとたまりもありません。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

翌日は、夜が開ける前から行動開始。まずは第一岸壁を登ります。
ロープを出しているパーティもいましたが、私たちはフリーで登りました。雪と岩壁の間に空いた隙間がいやらしいです。ジャンプして飛ぼうとしても荷物が重いので、軽々とは飛べないので恐々飛びます。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

続いて第二岩壁。ここはロープを出します。当時の記録を読み直すと1時間も待ったようです。風があって寒かったのは覚えてますが、1時間も待ったかなぁ。単独の人もいてロープを出さずにひょいひょいと登っていくのを見て「かっこいいなぁ」と思った覚えがあります。

私たちのリードは浜ちゃん。つづいてゆかりんこに私が登りました。核心の小さいハングを越える時、ちょっと失敗して無様な体になってしまったのを見た順番待ちのギャラリーから大きなため息が聞こえたのは、空耳か、幻聴か、被害妄想か...。

あとは北峰、南峰を経て冷池小屋まで晴天の下、るんるんと歩きます。到着したらおいしいビールを楽しみに。

見えてきた山荘。残雪期は小屋の真ん前にテントを設営できます。小屋から近くてよかった〜と思っていたのですが、のちのち、夏に縦走した際、そのやや恐ろしいテン場に驚いたものでした。

3日目は天気下り坂。雨が降る前に下山を!ということで、ルートを変更...するわけなく、爺ヶ岳頂上を経て長い長いその東尾根をくだったのでした。下った先、登山口は鹿島山荘の近く。ここから駐車場まで戻らなくてはならないのですが、なぜか、リーダー(私の師匠)が車取りに行ってくるからお前らここで待っとけ、と男気を出してくださりました。
結構な時間待っていたので、ほんと長い道を空荷とはいえ歩いて車を取りに行ってくれたリーダーに感謝したのはこの時が一番だったでしょうか...。


2021年3月2日火曜日

昔日山行話 2007年5月 剱岳小窓尾根

今回は2007年5月GW。剱岳の小窓尾根。

この山行は、山岳会内で2つのチームに分かれての山行。チーム早月尾根とチーム小窓尾根。私は、先輩Mさん(リーダー)とH君と3人で小窓尾根へ。ちなみに早月尾根にはうちの父ちゃんが岳友参加。

5月3日 晴
6時40分 馬場島 7時30分 白萩川取水口 8時30分 池ノ谷分岐点 8時40分 雷岩 
14時00分 2121m 15時00分 幕営

馬場島から白萩沢沿いに進み、とある場所で巻道へ入る。H君は巻きに反対で渡渉して進むことを主張していた。沢に雪はほとんどなく渡渉するような状況じゃなかった記憶がある。が、記録を読み返してみると、この高巻きルートはしっかりした登山道もどきで、冒険心がそがれた、と書いてある。



雷岩から小窓尾根に取り付く(↑)藪漕ぎ、雪なし、天気よし。でも暑い。

暑さと藪と格闘後、2100m地点に着いた。少し掘ると笹が出てくる場所だった。テントが笹で滑ったらどうしよう、と心配しながら寝たのを思い出す。

富山湾に沈む夕日


5/4 晴
3時00分 起床 5時00分 2121m出発 6時30分 ニードル 7時20分 ドーム 9時05分 マッチ箱 11時00分 小窓ノ頭手前ピーク 12時10分頃滑落 14時00分 三ノ窓 15時 池ノ谷乗越

天気がいいがルート上、日陰に入ると肌寒い。暖かい飲み物を持っていたが少し冷めていて飲んでも体が温まらなかった。
順調に高度をあげていく。他にもパーティがいるのでなんとなく心強い。協力協定を結んでいるK山岳会の人たちもいてさらに心強い。
人が多いということは順番待ちがある、ということ。ロープを出して登るところなんかは特にそうだ。けど待つしかない。この日もとあるところでH君が、ルートを外れ広い大きな雪璧を登ろう、と言い出した。却下したけど。

朝いち、小窓ノ頭へ向かう。まずはくだって、その後登って、の繰り返し

多分、マッチ箱の通過

マッチ箱通過後も、上ったり下りたり、を繰り返す

右手を見ると早月尾根が見え、登っているパーティが見える。まっすぐな稜線が頂上へ伸びている。
こちらは複雑な稜線を右へ左へ、上へ下へと進む。

小窓ノ王の基部に到着したのは12時ごろ。通常ここは2〜3ピッチほどの懸垂下降をする。その後少し登り返して三ノ窓に着く。懸垂下降の順番待ちが発生するところ。待つしかないだろう。でもH君は、ロープなしで行こうと言う。私はどうも気持ちが悪いのでロープを出したい、と言う。リーダーはなんかもごもご言っていた。H君はとても登れる人だった。自信のある人だった。なのでフリーで行けると思ったのだろう。でも私にはそんな自信はなかった。念には念を入れたかった。リーダーがどう考えてるかは不明だった。結論が出る前にH君はスタタと下りていった。続いてリーダーが下り始めた。ちょっとラインが違うような、と思っていると前爪を乗せた石(岩)がぽろっとはがれた、と記憶している。あっという間に右にカーブしている谷へ滑って彼女が見えなくなった。
ただ「滑落停止〜!」と数回叫んだ。彼女もなんとか停止させようとしているのが見えたが、する〜っと滑っていってしまった。
三ノ窓の手前まで進んでいたH君がザックを下ろし、迎えに行ってくると下りていった。多分、H君のいた場所からリーダーが停止したのが見えていたのだろう。私はK山岳会のロープを借りて懸垂して三ノ窓の基部まで行った。

三ノ窓からみた小窓ノ王基部からの斜面。懸垂している人が見える。

怪我なくリーダーが登り返してきた。よかった。気持ちを落ち着かせてから池ノ谷ガリーを登ったところで時間切れ。池ノ谷乗越でテントを張った。

午後5時頃だったか県警のヘリが飛んできた。乗越にいるのでちょうど目線の高さを、誰かを探すように飛んでいた。どうしたんだろう?なんて話をしながらテントの中から様子を伺っていた。
7時のニュースで、この付近で「男性」が滑落した様子、と流れた。県警が出動したが見つからず「男性」はおそらく無事で、仲間との登山を続けた模様、と言っていた。落ちたリーダーは女性だが、内容からまさに私たちのことじゃないか?えらいおおごとになってしまった。

5月5日 晴
3時00分 起床 5時10分 出発 5時40分 長次郎ノコル 6時40分 剣岳頂上
10時10分 早月小屋 13時15分 馬場島

この日も天気よく朝から快晴。
順調に歩き、雪壁もいくつかこなし頂上へ到着。
頂上への最後の登り

早月小屋までまだまだ。気をゆるめないよう進む。
小屋が見えるところまで来た。早月チームが待っていてくれた。

この後、前日のことの顛末を会長に説明。県警が出動したのはリーダーが落ちた時、付近にいた人が110番してくれのだろう、と推測。なにはともあれ怪我がなくてよかった、という話に落ち着いた。とはいえ、県警が出動するような状態になったのはやはり反省すべきと怒られた。
この直後、早月チームの1人が「警察に通報なんて、余計なことをする人がいたものね」と言った。「余計なことじゃないでしょ?心配して110番してくれた人の親切に対してそういうことを言うもんじゃない。」といさめた。

同じ山岳会に所属していても、意見の食い違いはある。それでも互いが瞬時に納得できるような信頼関係のある人を見つけるのは難しい、と感じた山行だった。
合わないと感じる人との山行は、自分が我慢できる性格でないと難しい。
私は基本的に我慢が足りない人。

2020年11月21日土曜日

昔日山行話 2005年の年末年始の五竜岳

今年度は、普通の週末に連休がないので、遠出できない中、何かしら書いていこうと始めた昔の山行話。更新がちょっと途切れがちになりつつあり...。このブログのページ開始年の2011年まで書き続けなければ、という意地のようなもののと、書いて山に行った気になろうと久しぶりに書いてます。

2005年〜2006年の年末年始は北アルプスの五竜岳。2005年の9月に下見山行をし、無雪期の遠見尾根を登ったわけですがそんなに遠いと思った記憶がなく。しかし、雪が積もると1日で行けた場所まで2日以上かかるのだと身をもって体験。

1日目〜2日目は雪がしんしんと降り、雪の少ない土地に育った私が「雪ってこんなに、しとしと雨のように降り続くのですね」というと兵庫の和田山出身の先輩に「街の子やね〜。そんなことを言うなんて」と言われました。

2005年12月30日(金)雪と風
朝いち 白馬五竜スキー場→15時ごろ 中遠見
12月31日(土)晴
7時過ぎ(?)中遠見→11時頃 西遠見山付近(えらく早かった!?)
2006年1月1日(日)晴
7時前 西遠見→10時半 五竜岳頂上→1時半ごろ 西遠見山付近
1月2日(月)雪
7時前 西遠見山→?時 白馬五竜スキー場着

2日目と3日目は晴れも晴れ、快晴でした。さすがに4日目となると曇りで朝から雪が降っており、とにかくはよ下りよ、という状況の中、雪をかぶった前日までのトレースを足先で探りながらの下山。とはいえ吹雪のような荒れた天気ではなかったので無事でした。

 
1日目の頂上方向。夜、私は頭を南方向(カクネ里側)で寝てましたが、谷底でヒュ〜っと音がしたかと思うと、数秒後にテント越しに風が頭に当たるという、風が生きているかのような体験でした。
 
2日目。前日と違って厚い雲が取れましたが。目の前の尾根は長い〜!でも天気はよかった!
予想より早く西遠見山付近に着いたので雪洞を作ってみました。初めてでした。5人が入れる広さの雪洞はおそらく4畳半くらい?下っ端の私は出口近くに寝ることになり、夜中、ツェルトを張った出入り口の隙間からの風が冷たくて、冷たくて...。
トイレに起きると、広すぎたのかすでに天井が下がりつつありドキドキしながらよく眠れず朝を待ちました。今思い出してもほんとよく天井崩壊しなかったなぁ。
 
西遠見山付近から見たは五竜岳頂上 五竜菱がはっきり
 
同じく西遠見山付近から見た鹿島槍ヶ岳。真ん中あたりに有名な黒蝶

 
五竜山荘前あたりから見た頂上へのルート。うっすらと夏道が見えてます。この辺で少ししんどくなったのを覚えている。自分が高度に弱いとまだ気づいていませんでした。頂上手前で数mだけ念のためロープを使用。
 

五竜岳の頂上から見た鹿島槍ヶ岳。奥に小さく槍ヶ岳も見えます。しかしいい天気だったなぁ。
同じ時期に入山していた他山岳会がキレット越えを計画。西遠見まで来たけど、持ってきたコッヘルが個人の小さいものでこれじゃぁ4人分の水が作れないと泣く泣く引き返してきた、と笑わせてくれたのもいい思い出です。

 

 

2020年11月6日金曜日

昔日山行話 立山

2005年7月23日〜24日

この山行も会社の人と行きました。合計6人ほどで、確か雷鳥荘に宿泊しました。雷鳥荘の夕食では、ビールを注文すると小屋の人が給仕してくれたのに「街の宿泊施設みたい!」とびっくりした覚えがあります。

2005年7月23日(土)曇時々晴
朝一(?)で室堂へ。浄土山経由で一の越山荘へ(11時50分着)。15時ごろには雷鳥荘でのんびり。

15年前の7月のみくりが池の周りには残雪多かった。最近では真夏にこれだけの残雪はないでしょう。地球は暑くなっている。

7月24日(日)晴
5時 雷鳥荘出発 7時50分 雄山(祈祷とお神酒をいただく) 11時30分 別山
13時過ぎ 雷鳥沢テント場 15時ごろ 室堂ターミナル

曇ったり晴れたりの天気でしたが雲上散歩にはいい天気だったと記憶しています。
先ほども書きましたが15年前の写真を見ると、この時期でも立山には雪が多く残っていましたね〜。
立山から別山への縦走路から見下ろした立山室堂。今に比べて残雪が多く見られます。残雪のモザイク模様です。

雷鳥沢を渡るところ。ここにも残雪が。2020年だと、このくらいの雪があるのは5月頃でしょうか。

雷鳥沢のテント場の周りにも雪が...。
そうそう、この山行でおいしかったものが2つ。室堂ターミナルで食べた「白えびかき揚げうどん」と縦走の後半、劔御前小屋で食べた果物の缶詰。水槽で浮かしてあるだけなのに、冷たくてとてもおいしくて暑さが吹っ飛んだのを覚えています。

2020年9月23日水曜日

昔日山行話 剱岳のつづき...

再度、2005年5月の剱岳の話。
よく考えたら、2002年に行った唐松岳から見た「次はあの山に登りたい!」と言った剱岳に3年からそこらで、しかも雪がある状態で登ることになろうとは。

メンバーの紹介。山岳会で5人で行きました。背後に大きめのテントがあるように、この頃は春に剱に入る人たちがまだまだたくさんいました。
直近では2017年の春に行きましたが、天気がよかったにも関わらず、5張あったかなかったか...。まぁ、山岳会でのサイクルみたいなものがあるので、一概に少なくなった、とは言えませんが、それでも片手で済むくらいのテントの数とは、アルパインクライミングをする人たちが減っているのは確かだと思います。

別山尾根から剱沢に下りるシュプール。スキーはスキー場だけでするもんだと思っていたので、これまた新たな発見👀

そして帰宅後。GW休み後に会社に行って驚かれたのが私の顔。春山の紫外線があんなに強いとは思っておらず、日焼け止めを塗っていたにも関わらず逆パンダ。目の周りはサングラスで真っ白。それ以外は日焼けで真っ黒。どこ行ってきたん?何してきたん?と会社で遠目に珍しそうに見られる状態。
春山の紫外線が、日焼け止めクリームだけでは対抗できなかった。こう理解したはずなのに、翌年も同じことをしてしまい、2007年にはネックゲーターを購入してやっと逆パンダにならずよう済んだのでした。

2020年9月20日日曜日

昔日山行話 2005年5月の剱岳(2999m)

2005年5月3日〜5日には剱岳へ春山山行。ちなみに2011年の夏に八ツ峰に岩登りに行くまで、剱には雪のある時しか登ったことがない、というのが隠れた自慢でした。

春山山行前は、ほぼ毎週トレーニング山行。オーバー手袋とアイゼンをつけての岩登りの練習、20キロ超の荷物を担いで六甲山で歩荷歩行、などなど。
プラブーツで歩荷したら両足のかかとが靴ずれで真皮まで皮がずる剥けになるという惨事にも見舞われました。最初に行った皮膚科では女医が、気持ち悪そうに見ながら&半笑いしながら「もう少しで真皮もずる剥けだったわね〜」の一言で診察が終わり。二度とこの皮膚科に行くことはありませんでした。
その後、別の科で受診した総合病院で、飛び込みで皮膚科を受診したら、これまた女医さんで嫌な予感がしたのもつかの間、しっかり診てくださっった。患部を保護できるよう、市販されていないクッション性のある当て布のようなものをこっそりくださいました。(15年前の話だから時効だよな?)

で、本番までに靴擦れも治りいざ出発。
3日とも快晴。ルートは、立山からケーブルとバスを利用して室堂、雷鳥沢、剱御前を通って剱沢小屋付近でテント設営。翌日頂上往復、3日目に同ルート下山。


春山で恒例の雪上訓練は、どこでやったっけな?剱沢の斜面でやったのかな?滑落停止などをしましたが、のちに考えたことは、滑ってしまったら終わり、ということ。とてもじゃないけど、滑った瞬間にピッケルを雪に差して自分を固定しない限り、滑り出してしまったら停止できる可能性は限りなく低い。

天気がいいので、訓練後はテントの外で頂上を愛でながら宴会をしたりして過ごす。雪がある山にテントがたくさん張られていて、こんなにたくさんの人が雪山登山とかしてるんだなぁ、と目から鱗だったり。

翌日、夜明け前から起床。ルートは夏山とは少し異なっていたと思う。
これからすごい斜面(武蔵谷横の斜面か?)を登る、という前にハーネスを装着。ここで私はやらかしてしまった!結局、ロープを結ぶことはなかったが、アルパインハーネスのレッグループのバックルをカッチンするのを忘れてしまった。頂上から下りて剱沢の安全地帯に戻った時に気付いた。要は、腰のところだけでハーネスを装着していたのだ。よくまぁ、ハーネスが落ちなかったこと!ほいでもって、もしロープをつないでいて、万が一滑落でもしていたら...。こっそり冷や汗をかきました。

カニの横バイも「こわい〜!」と言いつつ笑いながら通過。快晴の頂上で休憩。目の前の後立の山並みに感動。
二双峰が顕著な鹿島槍ヶ岳、左に五竜岳、左端に唐松岳が見えました。

帰りの縦バイもこなして(とはいえ鉄梯子をアイゼンで下りるのはちょっと緊張した)平蔵谷の上端に着きました。
平蔵谷の方を向いていますが、足元が切れておりすぐそこがどうなっているのかさっぱり分かりません。そんな時、隣にいたスキーヤーさん2人か3人が、視界からいなくなったかと思うとさ〜〜っと滑って行かれました。少ししたら姿が見えましたが、そこまで姿が見えないということは...結構な急斜面ということですね。

会長の号令のもと、この谷を下りることになりました(↓)。途中、立ち止まってこの季節は「ブロック雪崩」に注意をしなくてはいけない、ということも教わりました。平蔵谷の場合は、下る場合、特に左側からの落石や落ちてくる雪の塊(ブロック雪崩)に注意を払え、とのことでした。

谷の一番底まで着いて休憩。ここからテン場まで長い長い登り返し(↓)

今だに覚えている辛かった登り返し。早朝出発だったので雨具を着たままだったのが悪かった。とはいえ、当時は衣類調整をしてもいいのか=そのために歩行を止めていいのか、脱ぎ着するタイミングなど分からず、会長が雨具を着ているとそういうもんなんだ、と思いそのまま歩き続けた。もぉあかん、しんどい!の寸前でテントに戻った。

今思えば、なんでもベテランさんの真似をしとかなくてはと思っていた。素直やったんやなぁ。

2020年7月29日水曜日

昔日山行話 その2

前回に続いて昔の山行話です。 

今回は、2002年8月30日、北アルプス唐松岳。

会社の人に誘われてついて行った山行でした。しかも初めての北アルプス。誘ってくれたAさんとどこをどうして山登りの話になったのか全くもって記憶がないのですが、とにかく誘われ行くことになりました。

金曜の夜に出発して現地へ到着して…仮眠したのかな?ゴンドラに乗り八方尾根へ。
天気は悪かったようです。父ちゃんのお古の雨具を着て登ったようです。泊まりは唐松岳頂上山荘。

この山行の思い出が2つ。

到着後、談話室で飲み会を始めたのですが、少し離れたテーブルに一組の夫婦がいました。おそらく、旦那さんが山好きで奥さんより経験者。その旦那さんがラーメンを作っていたんですが、山で調理するのって、家で調理するのとちょっと手順が違ったりする方が効率よくできたりするものです(今だから言える)。それなのに奥さんが、「そんな風にしたらだめよ」「なにやってるのよ~」等々横槍を入れ始めた。 親切心から言ってたようですが、明らかに旦那さんはだんだん不機嫌に。
こういう時は、黙って見てて出来上がったら「ありがとう!」、「おいしい」と ー たとえ麺が固すぎても、逆にのびててもー 言えば楽しい時間が過ごせるのに。せっかくの2人の時間なのになぁ、と2人のこの後が心配になったのを覚えています。

2つ目の思い出は、小屋に一泊、ということでお風呂もないので着替えをしなくては、と思い下着の着替えを持って行きました。トイレで着替えた後のことです。何を考えていたものか、脱いだ下着をたたんで持って出るはずが、トイレットペーパーのホルダーの上に置きっぱなしにして=忘れて帰ったんです。
しかも忘れたと気づいたのが数ヶ月後!まさかに小屋に問い合わせる訳にもいかず(モノがモノだけに…)そのままに…。
もちろん一緒に行った人たちに言えるわけもなく。
それより小屋の人が困っただろーなー、と。18年前に(覚えてるかいっ!)トイレに下着を忘れたのは私でした。ご面倒おかけしました。

八方尾根の扇雪渓 登山靴だけで滑って遊ぶ一緒に行ったBさん

白馬岳方面。当時、何がなんの山か分からず撮影していた

ガスの間から見えた剱岳。この山の名前だけは覚えていて、
見た瞬間に「あの山に次は登りたい!」と言っていた