ラベル 昔日山行話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 昔日山行話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年7月4日日曜日

昔の山行話 中房から横尾まで単独行その2

山行日 2008年5月31日〜6月2日

さて、翌日。朝起きて冬期小屋の外に出てみると...この天気。言うことなしです。
が、やはり少々びびっていた私は、東鎌尾根へは向かわずエスケープルートである常念岳へ向かったのでした。

この景色を独り占めできたのはラッキーでした


大天井ヒュッテから貧乏沢へのトラバース道がうっすら見えています。稜線づたいに西岳ヒュッテを経由して、槍に続く東鎌尾根も見えていますが、1人で行く自信がなかったなぁ。

この後も誰1人と会うことなく1人東大天井、横通岳を通過。常念小屋が見える場所までやってきました。

常念小屋でテントを張るにはまだ早い時間。小屋に入っておじさんに蝶ヶ岳方面への道の状況を教えてもらいましたが、まぁ、雪はあるよ、くらいの話だったか。テントを張れる場所はいくつかあるよ、と教えてもらい出発しました。長い長い常念岳への登りを経て下りに入ったところで、反対方向から登ってきた男性二人組と会いました。

2人とも高そうなカメラを首から下げており、おそらく前を歩く初老の方が師匠で後ろの方がお弟子さん、といった感じでした。ずっと1人だった私は人に会えたのが嬉しくなって、そしてこの師匠が話しかけてくださったもんだから、長い長い間お話をしてしまいました。ふと気づくと「いい加減に話終わって」という目をしたお弟子さん。すいませんでした。でも、師匠もお話好きのようで盛り上がったのだから仕方ない。

お二人と別れた後は蝶ヶ岳方面目指しますが、時々夏道が分からなくなり薮に突っ込んで引き返したり、を数回繰り返しました。

いい時間になったので、ちょうど窪地になったようなところでテントを張ることに。

この時、2〜3人用のテントを持ってきており、1人で使うには広すぎて&おそらく放射冷却が効いたのかこの日の夜は寒かった。

この日のコースタイム
午前7時半ごろ 大天荘冬期小屋→ 9時20分 東大天井岳→ 10時20分 横通岳→ 
11時ごろ 常念小屋→ 午後1時 常念岳→ 5時 最低鞍部あたり

さてさて3日目。この日は朝から高曇りの空模様。ちょっと疲れが出てきていたけど、横尾を目指してがんばります。蝶槍までの登りと下りが結構しんどかったのを覚えている。やっとこさ蝶槍に着いて、目の前に広がる槍〜穂高を見て嬉しかったのか、満面の笑みで写真を自撮りしていた。

蝶槍の常念寄りの場所で撮影した槍穂

蝶槍に到着
横尾の分岐からは一気に下る。目印となる赤丸印がひっきりになしに木に書かれていたので心配していた道迷いはなかった。

横尾に到着すると父ちゃんはまだ来てなかったので、靴と靴下を脱いで足を解放。

ほどなくして父ちゃんと一緒に参加されていたご夫妻が到着。ここでも久しぶりに人に会えたのがうれしくて、上高地までひっきりなしにしゃべりっぱなしだった。疲れていたところに追い討ちをかけてしまった。今になって悪いことをしたなぁ、と思う。

この日のコースタイム
午前7時半 テント場→ 8時50分 蝶槍→ 9時10分 横尾分岐→ 10時55分 槍見台→
11時15分 横尾

2021年7月1日木曜日

昔の山行話 中房温泉から横尾まで初めての単独行

 2008年5月31日〜6月2日

いよいよ7月。梅雨本番と言われていますが、6月はなんかほとんど雨降らなかったような...。こんなんだったらもっと山中泊山行考えときゃよかった...。

さて、ということでいつもの昔話です。今回は初めての長期(といっても2泊3日ですが)の単独行初挑戦の話です。

この山行、元々は大天井から東鎌尾根を通って槍ヶ岳へ行き、肩の小屋で父ちゃんと合流する、という計画でした。ちなみに父ちゃんは、当時南岳小屋の支配人だったSさんのガイドでこの時期の南岳小屋偵察兼ガイドツアーというものに参加しており、普通に上高地から入山して、肩の小屋で私と合流、一緒に下山して父ちゃんの車で帰宅、という計画でした。

でしたので、私は生まれて初めて汽車で、いや電車で穂高まで。関西を朝いち出発、名古屋経由、松本まで。そっから山屋なら行ってみたい穂高駅まで。そっからバスで中房温泉へ。バスに乗る前に駅前にあった「バックカントリー穂高」というお店があったので入ってみた。たしか、念のためにガス缶を1つ購入したかな。

中房に着いたら雨でしたわ〜。前夜テント泊を諦め中房温泉へ投宿。飛び込みだったので、素泊まりと思われた最初は嫌な顔をされたけれど食事付きでと言うと、ころっと笑顔になったおっちゃん。まぁ、気持ちは分かる。しかし、1人で泊まる温泉宿ほど面白くないものはない。取材とか温泉マニアとかだったらともかく、風情のある部屋で1人で泊まるのはなんともうら寂しい気持ちになった。

翌朝も雨降り。ここまで来たので出発する。雨がひどくなる。

第3ベンチでこんな感じ。1人とぼとぼ歩き続ける。

合戦小屋に到着。ここら辺から雪が出てきた。小屋の人と話をすると「この天気で登るのは、山岳会のトレーニングくらいかなぁ。」と言っていた。たしかに。普通なら来んよな。

この後もとぼとぼ雨の中を歩き続け燕山荘に到着。中に入ってホットココアを注文。小屋の女性従業員とお話をする。どこかで「行くんですか?やめといた方がいいと思いますよ、この天気」というような言葉をかけてほしいなぁ、と思いつつゆっくりココアを飲む。半時間ほど休憩していたけどそんな言葉は出て来ず。行くしかないよなぁ。父ちゃんも待ってるし。

再び出発。
途中、積雪で夏道が消えている箇所は尾根通しに進んだ。喜作レリーフに到着。梯子を上がって右方面に進む。大天井ヒュッテと大天荘への分岐。雪はすでになかったけれど、この先ガスっていてよく見えない。雪があっては難儀なので、ここから尾根通しに頂上へ向かう。

雨の中大天井岳到着。ここから方向がよく分からない。登ってきた方向と反対側に下りてみる。途中、一瞬、ガスが晴れた時目の前にぶわっと広がったニノ俣谷に吸い込まれそうな錯覚を起こし、一瞬めまいを覚える。
自分がどの辺りにいるか正確に分からないので、左方向へ進み(東鎌尾根に進むなら右方向へ行くべき)ハイマツ帯が出てきたのでテントを張ることにした。雪の上で少し傾斜があったので、テントが滑ったらどうしよう?と心配しながら張り綱をハイマツにしっかりくくりつけた。

1時間ほど経ってテントから頭を出すと、雨が止みガスが晴れていた。すぐ目の前に大天荘が見えた。
ありゃ!あんな近くに!小さい小屋の屋根には「冬期小屋」と書かれていたので、これは移動するほかない、と撤収して冬期小屋へ移動、無事中に入る。風も吹かず雨にも降られず、快適。もちろん独り占め状態。利用料の1000円は後日、事務所に送付した。
ややっ!小屋が目の前に!

この日のコースタイム
午前5時45分 中房登山口→ 8時50分 合戦小屋→ (10時半ごろ?燕山荘 長い休憩)→
11時35分 大下り→ 午後1時25分 喜作レリーフ→ 2時40分 大天井岳→
5時半 冬期小屋に移動

2021年6月23日水曜日

昔の山行話 鹿島槍ヶ岳東尾根 2008年5月

6月に入ってから梅雨時の天気予報は変わりやすいので、長期の山行計画は立てておらず、近場で日帰り岩登りばかりしているとあっというまに下旬になってしまいました。

久しぶりにブログをアップしようと思い立ちましたが、やはり昔話をするしかないようです。

今回は、2008年5月のGWに行った鹿島槍ヶ岳東尾根。バリエーションルートです。普通、東尾根を登ると赤岩尾根を経て大谷原へ下りるのが普通なのですが、せっかくなので爺ヶ岳の頂上も通過して爺ヶ岳の東尾根を下りました。

車は鹿島槍スキー場の駐車場に駐車。大谷原のゲートを越えて赤布が目印の場所から東尾根に取りつきます。




しょっぱなから藪漕ぎです。当時持っていた高度計付き腕時計では、1960mあたりまでほぼ雪が出て来ず藪漕ぎ。
とはいえ、12時前には一ノ沢の頭=テン場に到着。最初は数張のテントがあれよあれよというまに10張超え。斜面を切って張ったテントが滑り落ちていかないか他人テントながらヒヤヒヤ。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

テントから真正面に見える沢では、ごーごーと音を立てて岩とブロック状の雪が頻繁に落ちていきます。春の風物詩とはいえあれに巻き込まれたらひとたまりもありません。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

翌日は、夜が開ける前から行動開始。まずは第一岸壁を登ります。
ロープを出しているパーティもいましたが、私たちはフリーで登りました。雪と岩壁の間に空いた隙間がいやらしいです。ジャンプして飛ぼうとしても荷物が重いので、軽々とは飛べないので恐々飛びます。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

続いて第二岩壁。ここはロープを出します。当時の記録を読み直すと1時間も待ったようです。風があって寒かったのは覚えてますが、1時間も待ったかなぁ。単独の人もいてロープを出さずにひょいひょいと登っていくのを見て「かっこいいなぁ」と思った覚えがあります。

私たちのリードは浜ちゃん。つづいてゆかりんこに私が登りました。核心の小さいハングを越える時、ちょっと失敗して無様な体になってしまったのを見た順番待ちのギャラリーから大きなため息が聞こえたのは、空耳か、幻聴か、被害妄想か...。

あとは北峰、南峰を経て冷池小屋まで晴天の下、るんるんと歩きます。到着したらおいしいビールを楽しみに。

見えてきた山荘。残雪期は小屋の真ん前にテントを設営できます。小屋から近くてよかった〜と思っていたのですが、のちのち、夏に縦走した際、そのやや恐ろしいテン場に驚いたものでした。

3日目は天気下り坂。雨が降る前に下山を!ということで、ルートを変更...するわけなく、爺ヶ岳頂上を経て長い長いその東尾根をくだったのでした。下った先、登山口は鹿島山荘の近く。ここから駐車場まで戻らなくてはならないのですが、なぜか、リーダー(私の師匠)が車取りに行ってくるからお前らここで待っとけ、と男気を出してくださりました。
結構な時間待っていたので、ほんと長い道を空荷とはいえ歩いて車を取りに行ってくれたリーダーに感謝したのはこの時が一番だったでしょうか...。


2021年4月7日水曜日

笈ヶ岳(1841m)石川県 2008年4月12〜13日

さて、今回の昔話は石川県の笈ヶ岳(おいずるがたけ)です。
メンバー 
4人(会長、Hさん、Yさん、私)
ルート 
中宮発電所→ 山毛欅尾山(ぶなおやま)→冬瓜山(かもうりやま)→シリタカ山→笈ヶ岳 同ルート下降

山行記録を読み返してみると、この山行は私が提案したもののようだ。参考にした本は、昭文社が発行している200名山の本。ただ、購入したのではなく、なんとなくぶらっと出かけた本屋で立ち読みして見つけたようだ。

4月12日は曇り時々晴れの天気。この日(というか、帰りも同ルート下降なんで翌日も、なんですが)辛かった部分は、ここ↓
中宮発電所の長い長い作業用階段。何段あったんだろう?とにかく長かった〜。

10時ごろ、1060mのピークあたりでカモシカを見た。見るとなんだかほんわか〜といやされる。「ブリタニカ国際大百科事典」によると「ウシ科(ここはよく知られたところ)。地方により体色が異なり、本州南部産はこげ茶色、本州中部さんは灰茶色(私が山でよく見る毛色だな)、東北産は灰白色で、背の正中線に航路げを混生する。」とあります。子を産むのは4〜6月で一頭だけのようです。現在は、日本の特別天然記念物に指定されています。


昼からはガスが出てきて少し迷った。先に進むと崖やらシュルンドやらが出てきて、この状態で前進するのはやめとこ〜ということで、適当に安全なところでテントを張った。

当時は、スマホもまだそんなに普及していなくて、メンバーの誰も持っていなかった。GPSといえばガーミンという高級ガジェットのみでもちろん誰も持っているわけはなく。紙の地形図とそれまでの経験をたよりに初めての山域にも踏み込んでいたわけだが、多少迷うのは仕方ない、というもの。私にとってはそれは当時も今も変わらない。紙の地図と自分の感覚と入山前の予習、これで山を進むのが楽しいのだ。多少迷っても、まさか北に向かうのを南に向かっている、なんてことはよほどパニックになっているなどの緊急事態で自分の状況がおかしくなっていない限りまず起きない。

最近、その辺の山でもスマホを見ながら歩いている人をよくみる。おそらくデジタル地図を見ながら進んでいるんだろう。山道はどれだけ踏まれた道でもある程度のでこぼこはあるものだ。スマホを見ながら歩いていると蹴つまずいて怪我するよ、と毎度のことながら思う。あと景色を見ずして山を歩いて楽しいのか?
とはいえ、これは個々の趣向の違いなんだろう。山に登るのに私たちのように岩壁を登るという方法と一般の登山道を歩いて登るという方法があり、どちらのスタイルが好きかまたはどちらの方法で山に登りたいか、という趣向の違いだろうと思う。要は、予習をして分からなくなった時や確認の時だけ地図を見るか、地図を見てその通りに進んでいるのを楽しむか、の違いだろう。
個人的には、スマホ(携帯電話)やGPSは緊急事態用であり、歩く時には思う存分景色を楽しみながら登りたい、というのが私の趣向で、同じ考えを持った人と登るのが理想だ。

翌日13日も晴れ時々曇り。
この日は、まず冬瓜山へ。4人でいっぱい、いっぱいの小さい山頂。ここでアイゼン装着。アップダウンを繰り返してシリタカ山、笈ヶ岳山頂を踏んで踵を返す。

テントを撤収して下山を開始。前日見えなかった斜面にデブリがあるのが見えたりして、意外と危険地帯が存在する山だった。

山毛欅尾山過ぎたあたりから雨が降り出したが本降りになる前に車に戻れたのでよかった。

この山行、私はあまり楽しんでなかったようだ。ちょっと自分のしたい山行と違う方向に行ってるなぁ、と思い始めていた頃だったか。

コースタイム
12日(土) 
08:00 駐車場スタート→08:19 水道管の下(中宮発電所内)→08:44 貯水池→10:00 1060m付近→
12:20  山毛欅尾山~冬瓜山の間1217mの下り→14:46 冬瓜山(1418m)付近→15:45 テント設営

13日(日) 
4:00 起床→5:30 テント出発→6:04 冬瓜山頂上→6:52  シリタカ山頂上→7:50  笈ヶ岳頂上→10:20 テント場到着〜撤収→13:30/40 山毛欅尾山→14:40 貯水池→15:20  駐車場戻り


2021年4月4日日曜日

大山別山尾根 2008年3月9日

さて、昔話は2008年に突入しております。
今回は、鳥取県は大山、別山尾根のバリエーション山行についてです。

大山は関西から比較的近く、運転時間も短いのでありがたいです。その年の雪の状況によって状況は変わりますが、別山尾根で一番恐怖なのは最後のほそ〜い尾根の歩きです。
初心者向けの弥山尾根より登攀要素が多い別山尾根ですが、そこはピッケルを雪に突き刺しながら、アイゼンの前爪をうまく使いながら登っていくのでそんなに怖くはありません。

登攀が終わってほっとしたところに出てくる最後の関門。それがミニ吊尾根といっていいほどのほそ〜い尾根の歩きです。右も左もスパッと落ちていてよろけたら最後、谷底です。ひょっとすると雪崩を引き起こして埋もれてしまうかもしれません。
これまで2回登りましたが、いずれもヒヤヒヤでした。とはいえ、トレースがばっちりあるのでそれをなぞればいいだけ、なのですがそれでもドキドキ。シーズン最初にここを歩く人はほんとすごい度胸ある人なんだろうと思います。

これがその細い尾根。5mほど進むとど〜んと向こう側に落ちています
怖くて歩きながら写真撮るなんてできない

で、ど〜んが終わればコルになり、あとは頂上小屋付近まで登り返すだけです。下から見上げた写真です

こちらは隣の弥山尾根をみたところ。登っているパーティが小さく見えます。弥山尾根は雪稜歩きの部分が多いので、バリエーション初心者さんはこのルートから始められるといいでしょう。

この日のタイムは... 
午前6時 駐車場出発 6時40分 大神山神社奥宮 8時 ルート取りつき 11時55分 頂上小屋
午後1時半ごろ 夏道登山口        天気がよかったので順調でした。

2021年4月1日木曜日

石鎚山(1982m)2008年2月17日〜18日

今回は、愛媛県の石鎚山山行の話。
山岳会のOBの方に誘っていただいた。父ちゃんも一緒に行く。行く途中で、淡路島最高峰、関西百名山の諭鶴羽山に立ち寄る。

OBの方が愛媛大学にゆかりがあり、その縁の方達も4〜5人加わって総勢7人くらいのパーティだったか。で、愛媛大学の山小屋が新しくなったということでそこを拠点にして山頂を目指す面河コース。
登山口から雪が残っており、四国=南の国=雪なし、というイメージだったが見事に覆された。もちろん、装備の準備はオーケーだったので心配無用でしたが。
ちなみに父ちゃんが四国のへそあたりの町出身なので、四国で雪が降るのは常識だったようですが。

1日目、小屋まで行き2日目に頂上を目指しましたが想像以上に雪が深く、また大人数だったため、頂上まで届かず。面河の登山口に戻ったのは午後3時過ぎでした。

再訪はいまだ達せられていませんが、再訪の際はやはり頂上・天狗岳の北壁を登りたいなぁ。

まぁまぁ本格的なラッセルするところあり
あれ?これって石鎚山かな?

愛媛大石鎚小屋 薪を焚いて快適でした

下山後 面河川の水はとてもきれいでした 雪降り続く

2021年3月31日水曜日

2007年〜2008年年末年始山行

この年末年始山行も記憶に残るものだったなぁ。
計画では、新穂高温泉から入山し、槍平から南岳西尾根→大キレット→北穂→涸沢岳西尾根→新穂高温泉へ、という壮大な計画。
メンバーは、会長、Hくん、私の3人。
この年の年末年始の予報は悪かった。入山日(2007年12月30日)は、曇り空にちらちら降雪。結構な数のパーティが入山していて、ラッセルに苦労することはなかった。
滝谷まで来て休憩。再度進み出して、滝谷出合を渡り、藤木レリーフを通り過ぎたところで、会長が足を止めて、戻ろう、と言い出した。Hくんが風邪気味でしんどそうだったのと降雪が激しくなってきたところだった。時間は昼過ぎだったかな。
槍平まで行くものだと思っていたからちょっと拍子抜けしたけれど、会長が戻ると言ってるのだから、と戻り、すぐそこの滝谷の避難小屋の横でテントを張った。

この後から雪はどんどん降り続き、結局、31日も同場所で沈(ちん)した。滝谷の沢の真ん中にある大きな岩の上にどんどん雪が積もり高くなって行くのを、水汲みなどでテントから出た時に確認しながら、いつまで降るのかなぁ?とのんきなことを考えていた。

さてどうするか、と31日の夜。予報を聞いてもよくはならない状態。ず〜っと降り続く雪。前進は無理だろう、ということで1日に下山することになった。
翌朝、5時頃に起床、朝ごはんを食べながら6時頃のニュースをラジオで聞いていると、槍平で雪崩があり数名が負傷している、とのことだった。
最初はちょっと信じられなかった。その場にいたかも知れない自分たち。なぜか2日前に引き返そうと言った会長。それ以降どかどかと降り続いた雪。そして槍平という場所で雪崩があった、ということ。
坂(傾斜)と雪があるところは雪崩れると思っとけ、とは会長の言葉である。

朝ごはんを食べ終わり下山開始。降り積もった雪を3人でラッセルしながら黙々と歩く。
涸沢岳西尾根への取付あたりで、遭難救助隊とすれ違った。

無事に下山したけれど、視界が開ける場所で周辺を見渡したらとにかくどの斜面にもどっしりと雪が積もっていつ落ちてもおかしくないような、そこらじゅうの山全体が重たい荷物を背負ったような雰囲気だった。

30日の昼過ぎ。私たちが滝谷に戻った後も数パーティが登っていっていた

31日の早朝。前日から止むことなく降り続いた雪。1日の朝も降ったままだった

2021年3月28日日曜日

2007年10月以降 その2

12月の頭に伊吹山にアイゼントレーニングへ行った。一合目から登った。メンバー8人。久しぶりのにぎやかな山行だったけど、メンバーの1人が下りで足が痛いと言い出した。当時は三合目まで車で登ることができたので、車を取りに行き三合目に取って返して近くの病院へ急ぐ、という最後はどたばただった。




そして帰宅後気が付いた。練習用の(でもまだ爪はしっかりあった)アイゼンを三合目に忘れたことを...。どうしようか迷ったけれど、ちょうど仕事が暇な時だったので翌日、仕事をズル休みして取りに行った。三合目の道端に行儀よく鎮座していたアイゼンだった。

*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*


12月半ばには恒例の冬山初めで中央アルプスの宝剣岳と三ノ沢岳へ行った。雪多くて三ノ沢岳の頂上には届かなかったけれど、ラッセルの練習はたっぷりできた。




そして年始年末の山行へ...。

2021年3月25日木曜日

2007年10月以降 その1

キナバルから帰った後は、山岳会の山行であっちへこっちへ。

11月頭、北アルプスへ。新穂高温泉から入山し、槍ヶ岳から南岳、南岳新道を下って新穂高温泉へというルート。

この時、メンバーの1人が低体温症っぽくなっててんやわんやがあったのが懐かしい。なんとか槍ヶ岳肩の小屋のテント場(小屋の最終営業日だった)には到着。テント内で、彼が手を温めようと火に手をかざしていたらなんだか焦げ臭い。気づいたら彼の腕の毛が焼けていた(笑)。体が冷たすぎて熱さを感じなくなっていた。体温が低くなりすぎた時、温める際は注意を。




*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*

11月中旬には比良山で行方不明の登山者の捜索活動に参加した。この1年前に比良山に行かれたまま帰宅されていない当時初老の方の捜索だった。何か手がかりでもあれば、ということで10人以上が集合した。この日は手がかりになるものを見つけることはできなかったけれど、息子さんが「ちょうど一年前にいなくなり、なんとか一年という節目で手がかりを見つけることができれば...」と挨拶されたのが印象に残っている。そうだよな、家族が山に行ったきり帰ってこないって本当に心配になり、不安になり、混乱する。半年経っても1年経っても5年経っても、せめてなにかの手がかりがあれば、と願う気持ちが痛いほど伝わってきた。
この1年後だったか。持ち物のザックが見つかった、という報告があった。息子さんも心の整理ができたことと思う。

2021年3月20日土曜日

キナバル(4095m)

2007年10月25日~28日

キナバルは「マレーシア、ボルネオ島北東部のサバ州にある山。マレー諸島の最高峰。左町ではコケ類を除き植物は生育しない」とブリタニカ国際大百科事典にある。また「降雪はないが結氷することがある」とも書いてある。

久しぶりの海外登山。雑誌「岳人」だったか「山と渓谷」だったか、とある旅行会社の格安旅行の広告を見て申し込んだ。キナバルに3泊4日、10万円ほどで行けるという内容。下山後のサバ市内での夕食と翌朝のご飯以外の全食事、足、小屋、ガイド代、飛行機代も含んでの値段だった。


残念だったのは、サバ市に到着した夕食が量が多くて食べきれなかったこと。この日のうちにキナバル自然公園近くの宿泊施設に向かう予定で、夜10時過ぎのお皿てんこ盛りの量に圧倒され、長旅の疲れもあって…。少しはいただきましたが、もっと食べたかった!もったいないことをしてしまったと時々思い出す。


キナバル自然公園は世界遺産に指定されており、現地のガイドさんなしに入園(入山)は不可能。こういう規則で、現地の人の雇用を守っているということをこの度で初めて知った。翌朝、現地のガイドさんと合流。このツアー参加の4人(私と父ちゃん含む)と登山開始。




標高が低い場所は熱帯地方特有の雰囲気。日本で見るような花も咲いていた。


距離は登山口からかな?頂上への距離かな?



この日の宿泊は、標高3272mにあるラバン・ラタ(Raban Rata)という山小屋。ここでの食事もおいしかった。寝室で寝ていると廊下を歩く人の振動がもろに部屋中に伝わってきて人が歩くたびにベッドが、いや部屋全体が揺れた。最初はびっくりしたが、慣れてくると今度は床が抜けないか心配になった。


*ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー*


翌朝、まだ暗いうちからヘッドランプを点けて頂上へ向けて出発。日の出に間に合うように登る。他の登山者も同じように登っていて富士山とまではいかないものの、そんな感じ。



日の出前に頂上に到着

日が完全に出るまで時間を過ごして小屋まで下山、その後、サバ市へというスケジュール。

頂上はやはり4000m越えということも肌寒かった。そうだなぁ、日本でいうと真夏のアルプス3000m辺りといったところか。


頂上直下はひろ〜いスラブ状。ロープが張っていなかったら適当に歩いて間違った方向へ行っちゃうかも。広すぎて4000m付近と思えない。


旅の準備、高度が高いところへ行くにあたって事前に高度順応で富士山へ登った。九合目で泊まったけれど、案の定私はげ~ろげろ状態に。このおかげでキナバルでは高度障害が出ることなく楽しんで登れた。山に対しての備えはお忘れなく。