2020年9月23日水曜日

昔日山行話 剱岳のつづき...

再度、2005年5月の剱岳の話。
よく考えたら、2002年に行った唐松岳から見た「次はあの山に登りたい!」と言った剱岳に3年からそこらで、しかも雪がある状態で登ることになろうとは。

メンバーの紹介。山岳会で5人で行きました。背後に大きめのテントがあるように、この頃は春に剱に入る人たちがまだまだたくさんいました。
直近では2017年の春に行きましたが、天気がよかったにも関わらず、5張あったかなかったか...。まぁ、山岳会でのサイクルみたいなものがあるので、一概に少なくなった、とは言えませんが、それでも片手で済むくらいのテントの数とは、アルパインクライミングをする人たちが減っているのは確かだと思います。

別山尾根から剱沢に下りるシュプール。スキーはスキー場だけでするもんだと思っていたので、これまた新たな発見👀

そして帰宅後。GW休み後に会社に行って驚かれたのが私の顔。春山の紫外線があんなに強いとは思っておらず、日焼け止めを塗っていたにも関わらず逆パンダ。目の周りはサングラスで真っ白。それ以外は日焼けで真っ黒。どこ行ってきたん?何してきたん?と会社で遠目に珍しそうに見られる状態。
春山の紫外線が、日焼け止めクリームだけでは対抗できなかった。こう理解したはずなのに、翌年も同じことをしてしまい、2007年にはネックゲーターを購入してやっと逆パンダにならずよう済んだのでした。

2020年9月20日日曜日

昔日山行話 2005年5月の剱岳(2999m)

2005年5月3日〜5日には剱岳へ春山山行。ちなみに2011年の夏に八ツ峰に岩登りに行くまで、剱には雪のある時しか登ったことがない、というのが隠れた自慢でした。

春山山行前は、ほぼ毎週トレーニング山行。オーバー手袋とアイゼンをつけての岩登りの練習、20キロ超の荷物を担いで六甲山で歩荷歩行、などなど。
プラブーツで歩荷したら両足のかかとが靴ずれで真皮まで皮がずる剥けになるという惨事にも見舞われました。最初に行った皮膚科では女医が、気持ち悪そうに見ながら&半笑いしながら「もう少しで真皮もずる剥けだったわね〜」の一言で診察が終わり。二度とこの皮膚科に行くことはありませんでした。
その後、別の科で受診した総合病院で、飛び込みで皮膚科を受診したら、これまた女医さんで嫌な予感がしたのもつかの間、しっかり診てくださっった。患部を保護できるよう、市販されていないクッション性のある当て布のようなものをこっそりくださいました。(15年前の話だから時効だよな?)

で、本番までに靴擦れも治りいざ出発。
3日とも快晴。ルートは、立山からケーブルとバスを利用して室堂、雷鳥沢、剱御前を通って剱沢小屋付近でテント設営。翌日頂上往復、3日目に同ルート下山。


春山で恒例の雪上訓練は、どこでやったっけな?剱沢の斜面でやったのかな?滑落停止などをしましたが、のちに考えたことは、滑ってしまったら終わり、ということ。とてもじゃないけど、滑った瞬間にピッケルを雪に差して自分を固定しない限り、滑り出してしまったら停止できる可能性は限りなく低い。

天気がいいので、訓練後はテントの外で頂上を愛でながら宴会をしたりして過ごす。雪がある山にテントがたくさん張られていて、こんなにたくさんの人が雪山登山とかしてるんだなぁ、と目から鱗だったり。

翌日、夜明け前から起床。ルートは夏山とは少し異なっていたと思う。
これからすごい斜面(武蔵谷横の斜面か?)を登る、という前にハーネスを装着。ここで私はやらかしてしまった!結局、ロープを結ぶことはなかったが、アルパインハーネスのレッグループのバックルをカッチンするのを忘れてしまった。頂上から下りて剱沢の安全地帯に戻った時に気付いた。要は、腰のところだけでハーネスを装着していたのだ。よくまぁ、ハーネスが落ちなかったこと!ほいでもって、もしロープをつないでいて、万が一滑落でもしていたら...。こっそり冷や汗をかきました。

カニの横バイも「こわい〜!」と言いつつ笑いながら通過。快晴の頂上で休憩。目の前の後立の山並みに感動。
二双峰が顕著な鹿島槍ヶ岳、左に五竜岳、左端に唐松岳が見えました。

帰りの縦バイもこなして(とはいえ鉄梯子をアイゼンで下りるのはちょっと緊張した)平蔵谷の上端に着きました。
平蔵谷の方を向いていますが、足元が切れておりすぐそこがどうなっているのかさっぱり分かりません。そんな時、隣にいたスキーヤーさん2人か3人が、視界からいなくなったかと思うとさ〜〜っと滑って行かれました。少ししたら姿が見えましたが、そこまで姿が見えないということは...結構な急斜面ということですね。

会長の号令のもと、この谷を下りることになりました(↓)。途中、立ち止まってこの季節は「ブロック雪崩」に注意をしなくてはいけない、ということも教わりました。平蔵谷の場合は、下る場合、特に左側からの落石や落ちてくる雪の塊(ブロック雪崩)に注意を払え、とのことでした。

谷の一番底まで着いて休憩。ここからテン場まで長い長い登り返し(↓)

今だに覚えている辛かった登り返し。早朝出発だったので雨具を着たままだったのが悪かった。とはいえ、当時は衣類調整をしてもいいのか=そのために歩行を止めていいのか、脱ぎ着するタイミングなど分からず、会長が雨具を着ているとそういうもんなんだ、と思いそのまま歩き続けた。もぉあかん、しんどい!の寸前でテントに戻った。

今思えば、なんでもベテランさんの真似をしとかなくてはと思っていた。素直やったんやなぁ。

2020年9月13日日曜日

初めての雪山

 少し更新の時間が空いてしまいました。日帰りで岩登りには行っていますが、少し間が空くとすぐに下手になってしまいます。モチベーションも下がってしまいます。まぁ、趣味でやってることなので、1歩進んで5歩下がる、を繰り返すのも楽しみたいと思います。

時は、2005年3月19日〜20日の週末。3連休の週末に中央アルプスの木曽駒ケ岳2956m)への山行。雪山は、奈良県周辺の山で経験していましたが、さすがにアルプスの雪山は違いました。

メンバーは、会長とベテランMさん、私の3人。この山行のために40リットルのザックを新調しましたが、共同装備=テントやコッヘルなどがあるとは知らずに、出発日の朝、菅の台の駐車場で私が担ぐ分を渡されザックに収まりきれず四苦八苦。バスの出発時間は迫ってくるしでいきなり半泣き状態でした。

バスとロープウェイに乗って千畳敷平へ。1日目、写真を撮っていなかったようで、どんなだったか記憶なし。
天狗荘か宝剣山荘、どちらかの前でテントで宿泊。雪から水を作るということも生まれて初めて体験。ひとつひとつのことが新鮮でした。

2日目。朝から空荷で山頂往復です。風がきつかったようですが天気は100点満点の晴天。
テント場前の地面が、太陽に照らされてテラテラに光っているのがきれいであり、珍しかった。

頂上の向こうに見えた御嶽山(↓)の大きさに驚き、その端正な山容に惚れちゃいました。

御嶽山の右側には、のっぺりと広い山稜を持つ乗鞍岳(↓)

これだけ晴れていれば、もちろん北アルプスの山並みもしっかり見えました。まぁ、どれがどの山だか、まったく分かっていませんでしたが...。

テント場に戻り千畳敷カールを下ってホテル前まで到着して振り返ったら、青い空とカールの白さのコントラストが素晴らしかった。

こうして私はさらに登山にどっぷりつかっていくことになったのでした。でも、この頃はまだ山の恐さを知ってはいなかった、無邪気なもんでした。

2020年9月6日日曜日

入会に向けて... 昔日山行話11

2004年11月末に衝撃の体験をしてから、山岳会に入会するまで、地元の山に登り始めました。
クリスマスの頃に奈良と三重県境の三峰山(1235m)、高見山(1248m)、明けて05年早々から父ちゃんについてって、国見山(1016m)、三重県境の大洞山(984m)と。この時期に奈良に積雪する山があるとは、奈良県生まれの奈良育ちなのに全く知らず、高い山ではないけれど新鮮でした。

一度、お試しでハイキングを中心とした山岳会に参加したことは以前書きましたが、やっぱり違うなぁ、と思い入会しない旨を会長さんに伝えると「若い人に頑張って欲しいから」と引き止められたので、今度入会する会はできる限り長く活動できる場所としたいので熟考しました。
例会に参加して、色々と会長に話を聞き、納得した上で入会することになりました。いやぁ、今思うと、なんか自分には向かうところ敵なし、やりたいことはなんでもできる、みたいな変な勢い(過剰な自信?...ちょっと違うなぁ)がありました。

入会後も、岩登りのシステムなどは初心者で分からないので、周りの人たちが「赤岳主稜」や「八ヶ岳」に行くのには参加できず、システムの勉強、岩登りは、たまたま県内に当時唯一のクライミングジムがあったので通い始めました。

雪山に行くための装備は、もちろんまったく持っていなかったので、まず靴を買いました。今ではほとんど見なくなったなぁ。プラスチックブーツです。というのも会長が履いていたから。分からないのでベテランさんの真似をするしかありません。
それを履いて、2005年2月、1人で雪の高見山へ足慣らしのため行きました。
予想外にものすごい人で、特にシニア世代の人が多いのにこれまた驚きました。
山ガールとか山ブームが再燃するかなり前の話です。
すれ違うグループのリーダーらしき人が私の足元を見て「あれ?スキーブーツで登ってるの?」なんて聞かれたりもして「いえ、これはプラスチックブーツといって...」と説明するも不思議な顔をされたものでした。
そしていよいよ3月の連休(春のお彼岸の連休ですな)生まれて初めて雪山デビューすることになったのでした。

2004年12月の高見山頂上付近

2005年2月中旬の高見山。2ヶ月で樹氷がここまで発達していた


2020年9月4日金曜日

昔日山行話10 人生が開けた

さて、今回は、この日から私の人生が変わったといっても過言ではない日の山行話です。
時は2004年11月28日(日)。
穂高へ登りに行った後から、父ちゃんから「岩稜帯のある山を登りに行くのであれば、岩登りを少ししといた方がいいんちゃうか。」と言われていました。その時は、「岩登り」がなんであるかピン!と来ておらず、「まぁ、そのうちに」みたいな感じでした。

この日、当時父ちゃんが入会していたハイキング山岳会とのちの私が入会することになる山岳会をかけもちして活動していたYさんが岩登りの練習をするから、と父ちゃんに誘われて行ってみたのでした。

場所は、裏六甲の百丈岩。アイゼントレや岩場の救助訓練でよく使われる岩場です。
私はといえば、岩登りのいろはも全く知らず。ロープをつけるとかも全く知らずに行ったわけです。もちろんクライミングシューズやヘルメット、ハーネスなども持っていなかったので貸してもらいました。

岩場の基部にはたくさんの人がいました。こんなに岩登り人口がいるんだぁ...。
登りだすと、森の中から飛び出して目の前に上部の壁が広がりました。

初心者なのでもちろん、フォローで登りましたが、岩をつかんでバランスを考えながら登るのがもぉそれはもぉ、衝撃の楽しさでした。こんなに楽しいことがあったのか世の中に!というくらい、楽しいものでした。
まぁ、初めてなので、登ったルートは緩傾斜でまったく難しいところではなかったのですが、岩の出っ張りを掴んでぐんぐん登っていくのが、歩いて登るのとはまた違う面白さが。

この緩傾斜を登りました。父ちゃんがフォローで登ってきてます。

隣の壁を見ると、あんなところに人が!すごい!

逆光の写真ですが...。百丈岩のど真ん中にそびえるロウソク岩。
緩傾斜の終了点から歩いて行くと、電気工事のような格好(ギアを持った)した男性が2人おりました。
この2人こそ、のちに所属することになる山岳会の会長さんとメンバーの人で、下山後、道場駅前で一緒にお酒を飲むことに。
ここでも衝撃でした。いい年をした大人たちが駅前の広場で、そこここで、地べたに座って円陣を組んで酒盛りをしているではありませんか!
ちょうどこの時期、日本の若者が町のあちこちで地べたに座るというのがちょっとした社会問題化して久しく、私がアメリカにいた頃、かの地のUSJへ仕事で出かけた時も、日本人の若者が地べたに座っており、驚愕した覚えがあります。
それを諭すはずの大人が地べたに座っている。しかもお酒を飲んでいる...。ちょっとしたカルチャーショックでしたが、みながしてるのでいいのだろう、と私もお酒とおつまみを買って楽しんだのでした。

1ヶ月ほど悩んだのち山岳会に正式に入会することになり、入会後は、会長直々にアルパインを中心とした岩登りについて教わることになりました。ここから私の、とある人が言った「遅咲きの狂い咲き」の登山生活が始まったのでした。