2020年12月16日水曜日

薊岳(奈良県1406m)で歩荷トレ

山行日 2020年12月13日(日)
天気      曇で強風
メンバー 剱メンバー2020(5人)

年末年始に剱岳へ行く計画。そのメンバーでトレーニングを開始してふた月ちょっと。寄せ集めメンバーでは決してなく各自、山岳会で幾多もの山行を重ねた経験者たち。
2018年の年末にハズと出かけた剱岳。まぁ天気が悪かったってのもありますが、やはり剱岳、二人でラッセル&登頂はなかなか厳しい...ということで、私の古巣の会長に相談したら「よっしゃ行こ!」と快諾いただいたのでした。

さてこの日。奈良県は薊岳へ歩荷トレ。この山の稜線は、両側にさえぎる尾根がないので、風が強いだろうと心の準備はしておりましたが、予想以上の吹きっさらし具合。衣類の準備がやや不足しており寒い中の歩荷となり反省しきり。

  登山口の笹野神社。しだれ桜かな?

ジグザグの登り道が続く。岩を詰めたザックはそこそこ重い

ちなみにこの日の重量ノルマは23キロ。ハズは25キロ担いでました。私は車にストックを忘れてしまって「しもた〜😣」この日は大事にはいたらないけど、あった方がよかった、という忘れ物が多かったなぁ。

大鏡池(たいきょういけ)手前の大きな岩
 
この岩を過ぎて、大きな窪地があった。ここが大鏡池か?などと話していましたが、みな、数年ぶり&初めての場所、などの理由で記憶が曖昧。そのまま通過。のちにあれが大鏡池だったと気づいた。

野草が凍りついて寒そう

稜線の野草にはエビの尻尾が...

頂上付近の杉は冬化粧

薊岳頂上から吉野方面。天気は悪いけどきれいだった

薊岳には西側に雌岳があった。とはいえ、本峰は「薊岳」だけで「雄岳」とは書いてなかった。
風は北からビュンビュンビュン。寒かったよ〜❄️
 
この後、前山(1409mくらい)までたら〜っとした稜線歩きで、景色もさほど変わらず、荷物は重いしでだんだん飽きてきた私とハズ。
この間、ツアーっぽいグループなど3グループほどとすれ違った。

前山を過ぎてテクテク行くとパッと目の前が開けて明神平に着いた。


枯れた落ち葉と木々に着いた霧氷のコントラスト。紅葉だったらもっときれいだろうなぁ。でも、最近はこの時期にならないと寒くならないので、このエリアで三段紅葉を見られるチャンスはほぼないだろうなぁ。 とにかく冷えていたがテンションは上がった。
 
小屋周辺で重りを下ろし、一気に登山道を下りる。林道歩きがどのくらい続くか不安があったけど、20分ほどで車に到着。神社近くに停めた車まで戻って(車が2台あると便利だなぁ〜)トレーニング終了。お風呂はやはた温泉で。ぬくぬく温もり解散。
 
この日のタイム
7時45分 笹野神社    8時半ごろ 重石を詰める 9時40分頃(?)大鏡池  12時 薊岳    13時40分 前山       13時45分 明神平  14時10分 下山開始  15時5分 登山口 15時27分 駐車場
(以上、休憩時間含む)
 
お風呂 やはた温泉 大人500円 休憩所あり 食事処は館内にはなし。詳細こちら
 
あ、最後に追加。年末年始の剱岳山行は、諸事情により中止。行き先変更となりました♪

2020年11月23日月曜日

昔日山行話 2006年のGWは穂高!

2006年のGWは穂高でした。涸沢にまず入り、北穂から奥穂へ向けて縦走後、涸沢へ下りる。翌日は、涸沢から前穂の北尾根を登って、岳沢を経由して上高地へ下山。
メンバー5人のうち3人は北尾根へ。あとの2人は北尾根を行く技量はまだなかったので、共同装備を担いで横尾経由で上高地へ。という二手に分かれるルートでした。
 
2006年5月3日(水)
6時半頃 上高地→ 9時過ぎ 横尾→ 午後1時頃 涸沢
5月4日(木)
7時半頃から雪上訓練→  8時半頃 北穂へ向け出発→ 11時50分頃 北穂頂上→
午後4時20分頃 白出のコル(時間なく奥穂は行かず)→午後6時 涸沢帰着
5月5日(金)
6時 涸沢出発→ 9時10分 前穂三峰取付→ 10時20分頃 二峰手前→ 12時頃 前穂頂上...この後の時間、写真がないので不明
 
3日ともall 晴れ。これまた天気に恵まれました。
北穂から奥穂へ向けて縦走中、ある山岳用品メーカーの人たちが大きなカメラを首からぶら下げて、カタログ用の写真撮影をしながら追いついてきた3人組がいました。もちろん、まだまだ雪はありますから、夏道を行く状態でなく、ある程度ルートを探しながらの前進です。器用に撮影をしながらさささ〜っと忍者のごとく進んであっという間に見えなくなりました。
すごいなぁ、と思っている中、こちらのグループには、懸垂する時「ATCでは懸垂をしたことがない!」という人が。「いつもなんで懸垂やってるの?」「ルベルソ」「ほななんでルベルソ持ってけえへんかったん?」「だって計画書にATCって書いてあったから...」
横でリーダーとのこの人との会話を聞いていた私は「....この人とは今後一緒に山に行かん!」とひそかに決めたのでした。
...とまぁこんなこともありましたな。

横尾から屏風岩

夏道だと本谷橋を過ぎたところ。雪があれば涸沢まで
直進するだけといえども精神的に辛い

涸沢のテント村 GWでも人いっぱい!

涸沢小屋下の傾斜で滑落停止の練習
持論ですが、滑り出してすぐに止めないと停止はほぼ不可能。
まずは滑らないよう、つまづかないよう雪上歩行すること
 

翌日。前穂北尾根三峰をリードするH君

再びH君。二峰の最後の登りだったか、本峰への登りだったか?
「お前、先に行くか?」と言われて尻込みしてしまった。今思えば
行っときゃよかった。当時は先を行く自信、なかったなぁ

この後、前穂の頂上からは夏道の重太郎新道ではなく、奥明神沢をくだった。雪のある時は、この沢を下るのが一般的。
岳沢は何もない平地となっていた。この2年前の冬、小屋は雪崩によって倒壊。この年の春先(だったと思う)に当時の支配人が事故で亡くなるという不幸ごとが続いた時だった。数年前の夏に初めて穂高を縦走し、休憩で冷たいジュースを飲んだ、木陰のある岳沢小屋がなくなったということに少なからずショックを受けたものだった。

奥明神沢は、時間が時間だけに雪が緩み下方右側の壁からポロポロ岩が剥がれ落ちるという状況だった。急ぐとくさった雪に足が取られてずてっとこけて滑り出す。前日習った滑落停止をしてみるが、結局は、傾斜と雪と体の摩擦で止まった、という始末。やはりこけては、いけない。


上高地から見あげた穂高はそれはそれはきれいだった。あそこを歩いてきたんだなぁ〜、と安心感と達成感で涙がちょちょぎれたのでした。

2020年11月21日土曜日

昔日山行話 2005年の年末年始の五竜岳

今年度は、普通の週末に連休がないので、遠出できない中、何かしら書いていこうと始めた昔の山行話。更新がちょっと途切れがちになりつつあり...。このブログのページ開始年の2011年まで書き続けなければ、という意地のようなもののと、書いて山に行った気になろうと久しぶりに書いてます。

2005年〜2006年の年末年始は北アルプスの五竜岳。2005年の9月に下見山行をし、無雪期の遠見尾根を登ったわけですがそんなに遠いと思った記憶がなく。しかし、雪が積もると1日で行けた場所まで2日以上かかるのだと身をもって体験。

1日目〜2日目は雪がしんしんと降り、雪の少ない土地に育った私が「雪ってこんなに、しとしと雨のように降り続くのですね」というと兵庫の和田山出身の先輩に「街の子やね〜。そんなことを言うなんて」と言われました。

2005年12月30日(金)雪と風
朝いち 白馬五竜スキー場→15時ごろ 中遠見
12月31日(土)晴
7時過ぎ(?)中遠見→11時頃 西遠見山付近(えらく早かった!?)
2006年1月1日(日)晴
7時前 西遠見→10時半 五竜岳頂上→1時半ごろ 西遠見山付近
1月2日(月)雪
7時前 西遠見山→?時 白馬五竜スキー場着

2日目と3日目は晴れも晴れ、快晴でした。さすがに4日目となると曇りで朝から雪が降っており、とにかくはよ下りよ、という状況の中、雪をかぶった前日までのトレースを足先で探りながらの下山。とはいえ吹雪のような荒れた天気ではなかったので無事でした。

 
1日目の頂上方向。夜、私は頭を南方向(カクネ里側)で寝てましたが、谷底でヒュ〜っと音がしたかと思うと、数秒後にテント越しに風が頭に当たるという、風が生きているかのような体験でした。
 
2日目。前日と違って厚い雲が取れましたが。目の前の尾根は長い〜!でも天気はよかった!
予想より早く西遠見山付近に着いたので雪洞を作ってみました。初めてでした。5人が入れる広さの雪洞はおそらく4畳半くらい?下っ端の私は出口近くに寝ることになり、夜中、ツェルトを張った出入り口の隙間からの風が冷たくて、冷たくて...。
トイレに起きると、広すぎたのかすでに天井が下がりつつありドキドキしながらよく眠れず朝を待ちました。今思い出してもほんとよく天井崩壊しなかったなぁ。
 
西遠見山付近から見たは五竜岳頂上 五竜菱がはっきり
 
同じく西遠見山付近から見た鹿島槍ヶ岳。真ん中あたりに有名な黒蝶

 
五竜山荘前あたりから見た頂上へのルート。うっすらと夏道が見えてます。この辺で少ししんどくなったのを覚えている。自分が高度に弱いとまだ気づいていませんでした。頂上手前で数mだけ念のためロープを使用。
 

五竜岳の頂上から見た鹿島槍ヶ岳。奥に小さく槍ヶ岳も見えます。しかしいい天気だったなぁ。
同じ時期に入山していた他山岳会がキレット越えを計画。西遠見まで来たけど、持ってきたコッヘルが個人の小さいものでこれじゃぁ4人分の水が作れないと泣く泣く引き返してきた、と笑わせてくれたのもいい思い出です。

 

 

2020年11月6日金曜日

昔日山行話 立山

2005年7月23日〜24日

この山行も会社の人と行きました。合計6人ほどで、確か雷鳥荘に宿泊しました。雷鳥荘の夕食では、ビールを注文すると小屋の人が給仕してくれたのに「街の宿泊施設みたい!」とびっくりした覚えがあります。

2005年7月23日(土)曇時々晴
朝一(?)で室堂へ。浄土山経由で一の越山荘へ(11時50分着)。15時ごろには雷鳥荘でのんびり。

15年前の7月のみくりが池の周りには残雪多かった。最近では真夏にこれだけの残雪はないでしょう。地球は暑くなっている。

7月24日(日)晴
5時 雷鳥荘出発 7時50分 雄山(祈祷とお神酒をいただく) 11時30分 別山
13時過ぎ 雷鳥沢テント場 15時ごろ 室堂ターミナル

曇ったり晴れたりの天気でしたが雲上散歩にはいい天気だったと記憶しています。
先ほども書きましたが15年前の写真を見ると、この時期でも立山には雪が多く残っていましたね〜。
立山から別山への縦走路から見下ろした立山室堂。今に比べて残雪が多く見られます。残雪のモザイク模様です。

雷鳥沢を渡るところ。ここにも残雪が。2020年だと、このくらいの雪があるのは5月頃でしょうか。

雷鳥沢のテント場の周りにも雪が...。
そうそう、この山行でおいしかったものが2つ。室堂ターミナルで食べた「白えびかき揚げうどん」と縦走の後半、劔御前小屋で食べた果物の缶詰。水槽で浮かしてあるだけなのに、冷たくてとてもおいしくて暑さが吹っ飛んだのを覚えています。

2020年10月16日金曜日

昔日山行話 2006年7月17日

さて、私の山行の昔話です。
今回は、2006年7月の海の日の連休に行った、自身初めての泊まりのある沢登りです。
行った沢は、福井県の「中ノ水谷」というところみたいです。「みたいです」というのは、事前に会長から資料をもらっていたにも関わらず、ざっくりとしか予習をしていなかったのと、これってあの沢の資料かなぁ?というコピーしたトポ図が手元にあるだけなので...。

国土地理院の地図で調べると大野市にある沢のようです。

メンバーはたしか6人から8人くらいだったかと思います。会長が知り合いに「初〜中級の沢でいいところがないか?」と聞いて教えてもらった沢だと言ってました。
前日の仮眠は、どこか分からない真っ暗な林道の脇に車を止め、その車の周りでシュラフを広げて寝ました。こういう行為を「オカン」というのだと教えてもらいました。
なんだか落ち着かない感じで仮眠して翌朝入渓。

天気はあまりよくなく、雨が今にも落ちてきそうな感じでした。
1時間〜2時間ほどで大きな二股に到着しました。休憩を挟んで進みます。この直後だったか、アクシデントが起きました。正確に言うと私が起こしてしまったのです。

高巻きをしている時でした。滝がどのくらいのサイズのものだったかなど全く記憶にありません。ただただついて行くだけでした。
会長のすぐ後ろ、2番手を登っていました。足元が崩れそうだったので集中していた時でした。下から順番待ちのメンバーから「こら〜!石を落とすなぁ〜!」と声がかかりました。気づいていなかったのですが、私が掴んでいる木の根がびろ〜んと壁から剥がれて石がどんどん落ちていたのです!
私が落としていると気づいたと同時に「あ!」と思った時、シュウマイくらいの大きさの石が落ちていきました。慌てて「ラク〜!」と叫びましたが間に合わず、メンバーの1人の右の上腕に命中してしまいました。

上から見ていても血が流れているのが見えました。会長と私はもちろん、高巻きに取りかかっていたメンバーも下まで戻り、結局ここで山行を中止にして帰ろうということになってしまいました。

この後、さらに悪いことが起きました。
同じ会のメンバーですが、出血しているメンバーと一緒に行動しているメンバーとそうでないメンバー、とグループが2つに分かれてしまったのです。怪我を負わせてしまったメンバーのグループは先に、先にとものすごい速さで歩きます。バラバラになってしまうことは絶対にダメです。なので私なりにがんばって沢を歩くのですがなかなか追いつきません。そんな時、今度は会長が、岩と岩の間に足を入れてしまいひねってしまいました。水中だったので、隙間があることに気がつかずに足を置いたら滑ってしまったのでしょうか?

そしてこの後の記憶はほぼなし。沢の中で泊まったのか...この日のうちに車にたどり着けたのか...。

私が石を当ててしまったメンバーは、幸い破傷風など細菌感染もなく治癒しましたが、この後は二度と沢に一緒に行くことはありませんでした。
会長はひねり方がひどく、たしかひと月ほど安静にしていたと記憶しています。

沢登りは究極の登山だといわれます。地形図を読んで、楽しみつつ安全を確保したルートどりをしなくてはいけない。谷に入ると携帯はつながらないので何かあった場合、救助を呼べない、全て自分たちで対処しなくてはいけない。私ごときがあのレベルの沢に行ってよかったのか...時々ふと思います。そして一番注意しなくてはいけないことは、高巻きです。落ちない、滑らない、落とさない、そして不安のあるメンバーがいる場合はロープを出す。

こんなことがあったので、沢登りは本当に簡単なルートにしか行かないようにしています。

入渓したすぐ。当時は防水カメラを持っていなかったので、このくらいしか写真がない。

2020年10月8日木曜日

六甲山ハイキング

日時 2020年10月4日(日) 天気 曇
ルート 阪急芦屋川駅〜高座の滝〜七曲り〜一軒茶屋〜阪急宝塚駅

六甲山へハイキング。旦那さんは高座の滝付近で岩をプラス10キロ。私はかわいらしくプラス2キロ。

もっと人出があるかなぁ?と思ってましたが意外と少なかったです。猛暑の残暑が過ぎ去り、やっと屋外で運動するのにいい季節になりましたが、歩いているとまだまだ暑さを感じるので、水分もそこそこ必要です。

秋を感じさせる花も見ました。

ノコンギク

フサフジウツギ

ところで、七曲りの上部、一軒茶屋まであと10分、というところに鉄梯子(橋)がありますが、このすぐ近くが崩落しておりました。「立ち入り禁止」の札があったのですが、別の登山者が「行けるよ」と話をしていたのを聞いたので行ってみました。

向こうが一軒茶屋側です。右側がすっぱり落ちていました。ちょうど上の写真の木のあたりで下を見るとこんな感じで崩落していました(↓)
ほんとは立ち入り禁止なので、入ってはいけないところを進んだのは反省です。
そしてこの先、シニア世代の人たちが草むらに入って、木の上の方の枝から何かを伐採(?)採ろうとしているところに出くわしましたが、何を採っているのかさっぱり分からず、話しかけて逆ギレされても怖そうなんでさっさと通過。

一軒茶屋前で休憩をして宝塚へ。駅から駅で約6時間半。まぁまぁのペースでした。

宝塚駅周辺で宝塚歌劇の生徒さんが歩いているのを見かけました。姿勢がすっと伸びてとてもきれいでした。おそらく男役の方だと思います。姿勢以外は無理ですが、姿勢の良さは見習えるのでちょっとがんばってみようと思った次第でした。
しかし改めて見ると、宝塚歌劇のファンになる人の気持ちが分かるような気がしました。着てるのは制服ですが、ものすごくかっこいいのです。そしてオーラもすごかった。
一度は見に行ってみたい宝塚歌劇です。

2020年10月2日金曜日

久しぶりに菊水山から摩耶山へ

先日、久しぶりに歩こうということになり、鵯越駅から摩耶山(掬星台)まで歩きに行きました。
雨が降るかもなぁ、という予報でしたが結果、降らずに少し暑いくらいの日で久しぶりの長丁場(というほどでもないか)を完歩しました。

この日は、掬星台から上野道を下りる計画でしたが、旧天上寺の跡地を通過しますが数年ぶりに通過することになったこの場で衝撃の光景が目に入ってきました。

道を塞ぐように木が倒れている。こんなんあったっけ?近づくと...

杉の木が倒れている!え、え〜〜!😳

ひょっとして2年前の台風で?と思ったら、そのようでした。
台風の被害の記憶、ということで残すことにしたようです。

根元に目をやると...。大きな木がぼきっとほぼ根元から折れていました。

お寺跡周辺の案内を示した看板はぐにゃっと曲がり、その柱の1本が木を貫通(赤丸印)。木が太いので、看板をぐにゃりとさせるほどの重量があったのは分かりますが、柱が貫通するほどの圧力がかかったのが驚きです。

そういえば、あの台風の時には雨戸がない窓にダンボールを貼って万が一に備えたことを思い出しました。何もなかったのでよかったですが、こういう爪痕を目の当たりにすると、改めてあの台風の威力を実感したのでした。
今後も起こりうる災害に対する備えをしなくては、と思わぬところで気を引き締めたのでした。

この跡は、ぼっちらぼっちらちょっと膝の調子がおかしいなぁ、なんて言いながら王子公園まで下りて電車の中で爆睡して帰りました。

2020年9月23日水曜日

昔日山行話 剱岳のつづき...

再度、2005年5月の剱岳の話。
よく考えたら、2002年に行った唐松岳から見た「次はあの山に登りたい!」と言った剱岳に3年からそこらで、しかも雪がある状態で登ることになろうとは。

メンバーの紹介。山岳会で5人で行きました。背後に大きめのテントがあるように、この頃は春に剱に入る人たちがまだまだたくさんいました。
直近では2017年の春に行きましたが、天気がよかったにも関わらず、5張あったかなかったか...。まぁ、山岳会でのサイクルみたいなものがあるので、一概に少なくなった、とは言えませんが、それでも片手で済むくらいのテントの数とは、アルパインクライミングをする人たちが減っているのは確かだと思います。

別山尾根から剱沢に下りるシュプール。スキーはスキー場だけでするもんだと思っていたので、これまた新たな発見👀

そして帰宅後。GW休み後に会社に行って驚かれたのが私の顔。春山の紫外線があんなに強いとは思っておらず、日焼け止めを塗っていたにも関わらず逆パンダ。目の周りはサングラスで真っ白。それ以外は日焼けで真っ黒。どこ行ってきたん?何してきたん?と会社で遠目に珍しそうに見られる状態。
春山の紫外線が、日焼け止めクリームだけでは対抗できなかった。こう理解したはずなのに、翌年も同じことをしてしまい、2007年にはネックゲーターを購入してやっと逆パンダにならずよう済んだのでした。

2020年9月20日日曜日

昔日山行話 2005年5月の剱岳(2999m)

2005年5月3日〜5日には剱岳へ春山山行。ちなみに2011年の夏に八ツ峰に岩登りに行くまで、剱には雪のある時しか登ったことがない、というのが隠れた自慢でした。

春山山行前は、ほぼ毎週トレーニング山行。オーバー手袋とアイゼンをつけての岩登りの練習、20キロ超の荷物を担いで六甲山で歩荷歩行、などなど。
プラブーツで歩荷したら両足のかかとが靴ずれで真皮まで皮がずる剥けになるという惨事にも見舞われました。最初に行った皮膚科では女医が、気持ち悪そうに見ながら&半笑いしながら「もう少しで真皮もずる剥けだったわね〜」の一言で診察が終わり。二度とこの皮膚科に行くことはありませんでした。
その後、別の科で受診した総合病院で、飛び込みで皮膚科を受診したら、これまた女医さんで嫌な予感がしたのもつかの間、しっかり診てくださっった。患部を保護できるよう、市販されていないクッション性のある当て布のようなものをこっそりくださいました。(15年前の話だから時効だよな?)

で、本番までに靴擦れも治りいざ出発。
3日とも快晴。ルートは、立山からケーブルとバスを利用して室堂、雷鳥沢、剱御前を通って剱沢小屋付近でテント設営。翌日頂上往復、3日目に同ルート下山。


春山で恒例の雪上訓練は、どこでやったっけな?剱沢の斜面でやったのかな?滑落停止などをしましたが、のちに考えたことは、滑ってしまったら終わり、ということ。とてもじゃないけど、滑った瞬間にピッケルを雪に差して自分を固定しない限り、滑り出してしまったら停止できる可能性は限りなく低い。

天気がいいので、訓練後はテントの外で頂上を愛でながら宴会をしたりして過ごす。雪がある山にテントがたくさん張られていて、こんなにたくさんの人が雪山登山とかしてるんだなぁ、と目から鱗だったり。

翌日、夜明け前から起床。ルートは夏山とは少し異なっていたと思う。
これからすごい斜面(武蔵谷横の斜面か?)を登る、という前にハーネスを装着。ここで私はやらかしてしまった!結局、ロープを結ぶことはなかったが、アルパインハーネスのレッグループのバックルをカッチンするのを忘れてしまった。頂上から下りて剱沢の安全地帯に戻った時に気付いた。要は、腰のところだけでハーネスを装着していたのだ。よくまぁ、ハーネスが落ちなかったこと!ほいでもって、もしロープをつないでいて、万が一滑落でもしていたら...。こっそり冷や汗をかきました。

カニの横バイも「こわい〜!」と言いつつ笑いながら通過。快晴の頂上で休憩。目の前の後立の山並みに感動。
二双峰が顕著な鹿島槍ヶ岳、左に五竜岳、左端に唐松岳が見えました。

帰りの縦バイもこなして(とはいえ鉄梯子をアイゼンで下りるのはちょっと緊張した)平蔵谷の上端に着きました。
平蔵谷の方を向いていますが、足元が切れておりすぐそこがどうなっているのかさっぱり分かりません。そんな時、隣にいたスキーヤーさん2人か3人が、視界からいなくなったかと思うとさ〜〜っと滑って行かれました。少ししたら姿が見えましたが、そこまで姿が見えないということは...結構な急斜面ということですね。

会長の号令のもと、この谷を下りることになりました(↓)。途中、立ち止まってこの季節は「ブロック雪崩」に注意をしなくてはいけない、ということも教わりました。平蔵谷の場合は、下る場合、特に左側からの落石や落ちてくる雪の塊(ブロック雪崩)に注意を払え、とのことでした。

谷の一番底まで着いて休憩。ここからテン場まで長い長い登り返し(↓)

今だに覚えている辛かった登り返し。早朝出発だったので雨具を着たままだったのが悪かった。とはいえ、当時は衣類調整をしてもいいのか=そのために歩行を止めていいのか、脱ぎ着するタイミングなど分からず、会長が雨具を着ているとそういうもんなんだ、と思いそのまま歩き続けた。もぉあかん、しんどい!の寸前でテントに戻った。

今思えば、なんでもベテランさんの真似をしとかなくてはと思っていた。素直やったんやなぁ。

2020年9月13日日曜日

初めての雪山

 少し更新の時間が空いてしまいました。日帰りで岩登りには行っていますが、少し間が空くとすぐに下手になってしまいます。モチベーションも下がってしまいます。まぁ、趣味でやってることなので、1歩進んで5歩下がる、を繰り返すのも楽しみたいと思います。

時は、2005年3月19日〜20日の週末。3連休の週末に中央アルプスの木曽駒ケ岳2956m)への山行。雪山は、奈良県周辺の山で経験していましたが、さすがにアルプスの雪山は違いました。

メンバーは、会長とベテランMさん、私の3人。この山行のために40リットルのザックを新調しましたが、共同装備=テントやコッヘルなどがあるとは知らずに、出発日の朝、菅の台の駐車場で私が担ぐ分を渡されザックに収まりきれず四苦八苦。バスの出発時間は迫ってくるしでいきなり半泣き状態でした。

バスとロープウェイに乗って千畳敷平へ。1日目、写真を撮っていなかったようで、どんなだったか記憶なし。
天狗荘か宝剣山荘、どちらかの前でテントで宿泊。雪から水を作るということも生まれて初めて体験。ひとつひとつのことが新鮮でした。

2日目。朝から空荷で山頂往復です。風がきつかったようですが天気は100点満点の晴天。
テント場前の地面が、太陽に照らされてテラテラに光っているのがきれいであり、珍しかった。

頂上の向こうに見えた御嶽山(↓)の大きさに驚き、その端正な山容に惚れちゃいました。

御嶽山の右側には、のっぺりと広い山稜を持つ乗鞍岳(↓)

これだけ晴れていれば、もちろん北アルプスの山並みもしっかり見えました。まぁ、どれがどの山だか、まったく分かっていませんでしたが...。

テント場に戻り千畳敷カールを下ってホテル前まで到着して振り返ったら、青い空とカールの白さのコントラストが素晴らしかった。

こうして私はさらに登山にどっぷりつかっていくことになったのでした。でも、この頃はまだ山の恐さを知ってはいなかった、無邪気なもんでした。

2020年9月6日日曜日

入会に向けて... 昔日山行話11

2004年11月末に衝撃の体験をしてから、山岳会に入会するまで、地元の山に登り始めました。
クリスマスの頃に奈良と三重県境の三峰山(1235m)、高見山(1248m)、明けて05年早々から父ちゃんについてって、国見山(1016m)、三重県境の大洞山(984m)と。この時期に奈良に積雪する山があるとは、奈良県生まれの奈良育ちなのに全く知らず、高い山ではないけれど新鮮でした。

一度、お試しでハイキングを中心とした山岳会に参加したことは以前書きましたが、やっぱり違うなぁ、と思い入会しない旨を会長さんに伝えると「若い人に頑張って欲しいから」と引き止められたので、今度入会する会はできる限り長く活動できる場所としたいので熟考しました。
例会に参加して、色々と会長に話を聞き、納得した上で入会することになりました。いやぁ、今思うと、なんか自分には向かうところ敵なし、やりたいことはなんでもできる、みたいな変な勢い(過剰な自信?...ちょっと違うなぁ)がありました。

入会後も、岩登りのシステムなどは初心者で分からないので、周りの人たちが「赤岳主稜」や「八ヶ岳」に行くのには参加できず、システムの勉強、岩登りは、たまたま県内に当時唯一のクライミングジムがあったので通い始めました。

雪山に行くための装備は、もちろんまったく持っていなかったので、まず靴を買いました。今ではほとんど見なくなったなぁ。プラスチックブーツです。というのも会長が履いていたから。分からないのでベテランさんの真似をするしかありません。
それを履いて、2005年2月、1人で雪の高見山へ足慣らしのため行きました。
予想外にものすごい人で、特にシニア世代の人が多いのにこれまた驚きました。
山ガールとか山ブームが再燃するかなり前の話です。
すれ違うグループのリーダーらしき人が私の足元を見て「あれ?スキーブーツで登ってるの?」なんて聞かれたりもして「いえ、これはプラスチックブーツといって...」と説明するも不思議な顔をされたものでした。
そしていよいよ3月の連休(春のお彼岸の連休ですな)生まれて初めて雪山デビューすることになったのでした。

2004年12月の高見山頂上付近

2005年2月中旬の高見山。2ヶ月で樹氷がここまで発達していた


2020年9月4日金曜日

昔日山行話10 人生が開けた

さて、今回は、この日から私の人生が変わったといっても過言ではない日の山行話です。
時は2004年11月28日(日)。
穂高へ登りに行った後から、父ちゃんから「岩稜帯のある山を登りに行くのであれば、岩登りを少ししといた方がいいんちゃうか。」と言われていました。その時は、「岩登り」がなんであるかピン!と来ておらず、「まぁ、そのうちに」みたいな感じでした。

この日、当時父ちゃんが入会していたハイキング山岳会とのちの私が入会することになる山岳会をかけもちして活動していたYさんが岩登りの練習をするから、と父ちゃんに誘われて行ってみたのでした。

場所は、裏六甲の百丈岩。アイゼントレや岩場の救助訓練でよく使われる岩場です。
私はといえば、岩登りのいろはも全く知らず。ロープをつけるとかも全く知らずに行ったわけです。もちろんクライミングシューズやヘルメット、ハーネスなども持っていなかったので貸してもらいました。

岩場の基部にはたくさんの人がいました。こんなに岩登り人口がいるんだぁ...。
登りだすと、森の中から飛び出して目の前に上部の壁が広がりました。

初心者なのでもちろん、フォローで登りましたが、岩をつかんでバランスを考えながら登るのがもぉそれはもぉ、衝撃の楽しさでした。こんなに楽しいことがあったのか世の中に!というくらい、楽しいものでした。
まぁ、初めてなので、登ったルートは緩傾斜でまったく難しいところではなかったのですが、岩の出っ張りを掴んでぐんぐん登っていくのが、歩いて登るのとはまた違う面白さが。

この緩傾斜を登りました。父ちゃんがフォローで登ってきてます。

隣の壁を見ると、あんなところに人が!すごい!

逆光の写真ですが...。百丈岩のど真ん中にそびえるロウソク岩。
緩傾斜の終了点から歩いて行くと、電気工事のような格好(ギアを持った)した男性が2人おりました。
この2人こそ、のちに所属することになる山岳会の会長さんとメンバーの人で、下山後、道場駅前で一緒にお酒を飲むことに。
ここでも衝撃でした。いい年をした大人たちが駅前の広場で、そこここで、地べたに座って円陣を組んで酒盛りをしているではありませんか!
ちょうどこの時期、日本の若者が町のあちこちで地べたに座るというのがちょっとした社会問題化して久しく、私がアメリカにいた頃、かの地のUSJへ仕事で出かけた時も、日本人の若者が地べたに座っており、驚愕した覚えがあります。
それを諭すはずの大人が地べたに座っている。しかもお酒を飲んでいる...。ちょっとしたカルチャーショックでしたが、みながしてるのでいいのだろう、と私もお酒とおつまみを買って楽しんだのでした。

1ヶ月ほど悩んだのち山岳会に正式に入会することになり、入会後は、会長直々にアルパインを中心とした岩登りについて教わることになりました。ここから私の、とある人が言った「遅咲きの狂い咲き」の登山生活が始まったのでした。



2020年8月30日日曜日

昔日山行 その9

さて、時間は再び、2004年へ戻ります。

またまたモンベルのアウトドアチャレンジで山行です。11月に奈良県の大普賢岳へ行きました。土曜日の夕方に和佐又ヒュッテに集合。一泊して翌朝、ヒュッテ→笙の窟→大普賢岳→国見岳→七曜岳→無双洞→ヒュッテ、という結構長丁場のルートでした。

歩きごたえがあり、はしごあり、鎖場あり、岩場っぽいところあり、となかなかアスレチック感のある面白いルートで楽しかったです。
当時、引率されたモンベルの社員さんが、カナダに留学していたということもあり、帰国後数年の私と海外の話で盛り上がったことを思い出します。
その後、彼女は、スイスのグリンデルワルド店の開店に関わるとおっしゃってました。今頃どうされているのかな?ご活躍されてることを願っています。

さて、奈良県出身なのに、吉野にその昔、スキー場があったということをこの時初めて知り、衝撃を受けました。確かに冬は底冷えする奈良ですが、スキー場というものは長野とか新潟とか、ほんとに雪が多い場所、という固定概念があったので、ここにスキー場が!と驚きました。スキー場跡の斜面を見ると、子供がソリでしゅ〜っと滑って遊べる規模のスキー場のようでした。とはいえ、昔は奈良にもかなりの積雪があったことを物語る話です。

幾重にも重なる吉野以南の山々。奈良の山は深いなぁと改めて思います。遠い昔、この地に身を隠すため逃れた先人の気持ちが分かるような気がします。探す側も大変だったろうなぁ。

おそらく、なんですが、国見岳あたりから大普賢と小普賢岳を撮ったものと思います。地理院のHPで、3D地図にして確認しましたが自信ありません。

子供の頃は、紅葉は10月頃だと思っていましたが、この時すでに11月。最近の紅葉は葉が焼けてしまって鮮やかな紅葉には滅多にお目にかかれませんが、この紅葉はほんときれいでした。

ヒュッテ横のキャンプ場に1本立っていた「孤高の紅葉」です。
たくさんの木が集まっているよりも、1本ですっと立っているのに共感を覚えます。協調性がない性格のせいだからでしょう。

このルートにはこの後、何度も行きましたがここ数年は行けておらず。結構、長いルートなので気合いが入りますが時間ができたら再訪したいと思っています。
なお、和佐又ヒュッテは、2019年11月に閉鎖しています。キャンプ場も閉鎖なのかなぁ?最近のキャンプの流行にこちらは需要がありそうですが...。