2020年11月23日月曜日

昔日山行話 2006年のGWは穂高!

2006年のGWは穂高でした。涸沢にまず入り、北穂から奥穂へ向けて縦走後、涸沢へ下りる。翌日は、涸沢から前穂の北尾根を登って、岳沢を経由して上高地へ下山。
メンバー5人のうち3人は北尾根へ。あとの2人は北尾根を行く技量はまだなかったので、共同装備を担いで横尾経由で上高地へ。という二手に分かれるルートでした。
 
2006年5月3日(水)
6時半頃 上高地→ 9時過ぎ 横尾→ 午後1時頃 涸沢
5月4日(木)
7時半頃から雪上訓練→  8時半頃 北穂へ向け出発→ 11時50分頃 北穂頂上→
午後4時20分頃 白出のコル(時間なく奥穂は行かず)→午後6時 涸沢帰着
5月5日(金)
6時 涸沢出発→ 9時10分 前穂三峰取付→ 10時20分頃 二峰手前→ 12時頃 前穂頂上...この後の時間、写真がないので不明
 
3日ともall 晴れ。これまた天気に恵まれました。
北穂から奥穂へ向けて縦走中、ある山岳用品メーカーの人たちが大きなカメラを首からぶら下げて、カタログ用の写真撮影をしながら追いついてきた3人組がいました。もちろん、まだまだ雪はありますから、夏道を行く状態でなく、ある程度ルートを探しながらの前進です。器用に撮影をしながらさささ〜っと忍者のごとく進んであっという間に見えなくなりました。
すごいなぁ、と思っている中、こちらのグループには、懸垂する時「ATCでは懸垂をしたことがない!」という人が。「いつもなんで懸垂やってるの?」「ルベルソ」「ほななんでルベルソ持ってけえへんかったん?」「だって計画書にATCって書いてあったから...」
横でリーダーとのこの人との会話を聞いていた私は「....この人とは今後一緒に山に行かん!」とひそかに決めたのでした。
...とまぁこんなこともありましたな。

横尾から屏風岩

夏道だと本谷橋を過ぎたところ。雪があれば涸沢まで
直進するだけといえども精神的に辛い

涸沢のテント村 GWでも人いっぱい!

涸沢小屋下の傾斜で滑落停止の練習
持論ですが、滑り出してすぐに止めないと停止はほぼ不可能。
まずは滑らないよう、つまづかないよう雪上歩行すること
 

翌日。前穂北尾根三峰をリードするH君

再びH君。二峰の最後の登りだったか、本峰への登りだったか?
「お前、先に行くか?」と言われて尻込みしてしまった。今思えば
行っときゃよかった。当時は先を行く自信、なかったなぁ

この後、前穂の頂上からは夏道の重太郎新道ではなく、奥明神沢をくだった。雪のある時は、この沢を下るのが一般的。
岳沢は何もない平地となっていた。この2年前の冬、小屋は雪崩によって倒壊。この年の春先(だったと思う)に当時の支配人が事故で亡くなるという不幸ごとが続いた時だった。数年前の夏に初めて穂高を縦走し、休憩で冷たいジュースを飲んだ、木陰のある岳沢小屋がなくなったということに少なからずショックを受けたものだった。

奥明神沢は、時間が時間だけに雪が緩み下方右側の壁からポロポロ岩が剥がれ落ちるという状況だった。急ぐとくさった雪に足が取られてずてっとこけて滑り出す。前日習った滑落停止をしてみるが、結局は、傾斜と雪と体の摩擦で止まった、という始末。やはりこけては、いけない。


上高地から見あげた穂高はそれはそれはきれいだった。あそこを歩いてきたんだなぁ〜、と安心感と達成感で涙がちょちょぎれたのでした。

2020年11月21日土曜日

昔日山行話 2005年の年末年始の五竜岳

今年度は、普通の週末に連休がないので、遠出できない中、何かしら書いていこうと始めた昔の山行話。更新がちょっと途切れがちになりつつあり...。このブログのページ開始年の2011年まで書き続けなければ、という意地のようなもののと、書いて山に行った気になろうと久しぶりに書いてます。

2005年〜2006年の年末年始は北アルプスの五竜岳。2005年の9月に下見山行をし、無雪期の遠見尾根を登ったわけですがそんなに遠いと思った記憶がなく。しかし、雪が積もると1日で行けた場所まで2日以上かかるのだと身をもって体験。

1日目〜2日目は雪がしんしんと降り、雪の少ない土地に育った私が「雪ってこんなに、しとしと雨のように降り続くのですね」というと兵庫の和田山出身の先輩に「街の子やね〜。そんなことを言うなんて」と言われました。

2005年12月30日(金)雪と風
朝いち 白馬五竜スキー場→15時ごろ 中遠見
12月31日(土)晴
7時過ぎ(?)中遠見→11時頃 西遠見山付近(えらく早かった!?)
2006年1月1日(日)晴
7時前 西遠見→10時半 五竜岳頂上→1時半ごろ 西遠見山付近
1月2日(月)雪
7時前 西遠見山→?時 白馬五竜スキー場着

2日目と3日目は晴れも晴れ、快晴でした。さすがに4日目となると曇りで朝から雪が降っており、とにかくはよ下りよ、という状況の中、雪をかぶった前日までのトレースを足先で探りながらの下山。とはいえ吹雪のような荒れた天気ではなかったので無事でした。

 
1日目の頂上方向。夜、私は頭を南方向(カクネ里側)で寝てましたが、谷底でヒュ〜っと音がしたかと思うと、数秒後にテント越しに風が頭に当たるという、風が生きているかのような体験でした。
 
2日目。前日と違って厚い雲が取れましたが。目の前の尾根は長い〜!でも天気はよかった!
予想より早く西遠見山付近に着いたので雪洞を作ってみました。初めてでした。5人が入れる広さの雪洞はおそらく4畳半くらい?下っ端の私は出口近くに寝ることになり、夜中、ツェルトを張った出入り口の隙間からの風が冷たくて、冷たくて...。
トイレに起きると、広すぎたのかすでに天井が下がりつつありドキドキしながらよく眠れず朝を待ちました。今思い出してもほんとよく天井崩壊しなかったなぁ。
 
西遠見山付近から見たは五竜岳頂上 五竜菱がはっきり
 
同じく西遠見山付近から見た鹿島槍ヶ岳。真ん中あたりに有名な黒蝶

 
五竜山荘前あたりから見た頂上へのルート。うっすらと夏道が見えてます。この辺で少ししんどくなったのを覚えている。自分が高度に弱いとまだ気づいていませんでした。頂上手前で数mだけ念のためロープを使用。
 

五竜岳の頂上から見た鹿島槍ヶ岳。奥に小さく槍ヶ岳も見えます。しかしいい天気だったなぁ。
同じ時期に入山していた他山岳会がキレット越えを計画。西遠見まで来たけど、持ってきたコッヘルが個人の小さいものでこれじゃぁ4人分の水が作れないと泣く泣く引き返してきた、と笑わせてくれたのもいい思い出です。

 

 

2020年11月6日金曜日

昔日山行話 立山

2005年7月23日〜24日

この山行も会社の人と行きました。合計6人ほどで、確か雷鳥荘に宿泊しました。雷鳥荘の夕食では、ビールを注文すると小屋の人が給仕してくれたのに「街の宿泊施設みたい!」とびっくりした覚えがあります。

2005年7月23日(土)曇時々晴
朝一(?)で室堂へ。浄土山経由で一の越山荘へ(11時50分着)。15時ごろには雷鳥荘でのんびり。

15年前の7月のみくりが池の周りには残雪多かった。最近では真夏にこれだけの残雪はないでしょう。地球は暑くなっている。

7月24日(日)晴
5時 雷鳥荘出発 7時50分 雄山(祈祷とお神酒をいただく) 11時30分 別山
13時過ぎ 雷鳥沢テント場 15時ごろ 室堂ターミナル

曇ったり晴れたりの天気でしたが雲上散歩にはいい天気だったと記憶しています。
先ほども書きましたが15年前の写真を見ると、この時期でも立山には雪が多く残っていましたね〜。
立山から別山への縦走路から見下ろした立山室堂。今に比べて残雪が多く見られます。残雪のモザイク模様です。

雷鳥沢を渡るところ。ここにも残雪が。2020年だと、このくらいの雪があるのは5月頃でしょうか。

雷鳥沢のテント場の周りにも雪が...。
そうそう、この山行でおいしかったものが2つ。室堂ターミナルで食べた「白えびかき揚げうどん」と縦走の後半、劔御前小屋で食べた果物の缶詰。水槽で浮かしてあるだけなのに、冷たくてとてもおいしくて暑さが吹っ飛んだのを覚えています。