2012年1月19日木曜日

11〜12年年末年始山行 北ア奥穂高岳 その2

2日目。
2011年12月31日(土)
この日は、テント場から全ての荷物を担いで白出のコルまで行き、上でテントを張るか冬期小屋に入って元気であればこの日に奥穂高岳頂上(3109m)往復し、1泊して元日に下山するか、ともかく1泊して元日に頂上往復してそのまま下山するか、のどちらにしても上まで荷物を担いで歩くというのが当初の予定だった。

が、元日は天気が悪くなる、平地で午後から下り坂と言うことは上は午前中から天気が悪くなると見た方がいい。そいでもってボスの膝の調子が悪いようだ。前日もいつになく辛そうだったので、重い荷物を背負って上に行くより、天気がいい31日、最悪日没後も少し行動するということを覚悟して最低限の荷物だけでピストンするという案を出し、他のお二人にも同意していただいた。

4時半 起床 他のテントではすでに起きて用意をしている人もいたようだった。
6時半 テント出発
トレースはしっかり着いている。森林限界を抜けて白い世界に飛び出す頃、白々と夜が明けてきたようで辺りが明るくなってきた。残念ながら今回登っている尾根は稜線の西側。すなわち、ものすごくすばらしいだろう日の出は見えなかった。残念。

実はこのルート、山を初めて2年目の年末年始に歩いた道だ。その時は、奥穂を抜けて、ジャンダルムを抜け、西穂まで縦走するという今思うととんでもなく辛いというか内容の濃い山行だったのだが、涸沢岳西尾根を突き詰めていくととんでもない雪壁があり、少しでもバランスを崩すと気が遠くなるほど広がる足元の沢に向かって落ちていき、おそらく春先、いや最悪夏頃まで見つけてもらえないだろうと半泣きになった場所があるルートだ。あの時の恐怖感が行く前から思い出されて嫌やなぁ、と思っていたけれど今回のルートとしては私には少し物足りないルート選定である。なので、行くなら先頭切って行ってやる!とも思っていたので先頭をずんずん歩くが、あの壁が目の前にはだかったらどうしようと思いつつどきどきしていた。
が、しかし。何もない。考えてみるとあまりに簡単に行ってしまった。どこにあの恐怖の雪壁があったのか、皆目見当が付かなかったが、とにかく、がんばれた。

10:00頃 白出のコル到着。最初、外で風の当たらない場所で休憩をしていたが、トイレに行きたいというと冬期小屋に入ろうということになりトイレを拝借する。この小屋、窓があって明かりが差し込み、しかもじめっとした感じが全くなく、そしてそしてほんのり暖かい。とても明るい小屋だ。このままここに居ときたい...

するとボスがやはり膝が痛むらしく、頂上往復には向かわずこの小屋で私達他3人を待ちたいと言い出した。かなり辛い様子だったので了解というと、久しぶりに雪山に来た先輩が「私もおろっかなぁ。」と言い出した。おっとちょっと待て!それはないだろ、先輩よ!と思ったので、やんわりと「なるべく多い人数で行きたいなぁ。」と言うと「うぅん、そっか。じゃぁ行こう。」とボスを除いた3人で行くことになった。

頂上までトレースは一応付いているが、自分が考えたルートと少し違う。うぅん、どうしようかな。自分でラインをわざわざ引くか?色々考えたけれど結局トレースをなぞることに。

11時35分 頂上
めちゃくちゃいい天気。風は吹いていて鼻がもげそうなくらいに冷たいが、このくらいなら全然マシ。頂上で360度くるっと回って写真を撮り景色を楽しむ。15分ほどいて冬期小屋へ戻る為に下り始める。途中で東北チームとすれ違う。

12時40分頃 白出のコル。ボスと再度合流。休憩を取り、食べれるものをできるだけたくさん食べる。10分ほどで出発。帰りは天気が良く、本当に最高である。私が先頭を切っていくが、皆が付いてこないで時々止まって振り返る。

15時40分頃 テン場に到着 テントに入ってすぐに飲み会開始。この日のご飯は私が食担。4分でゆで上がるパスタをトマトソースと混ぜ、パセリと粉チーズをかければ山食にしてはおしゃれなスープパスタ。しかし、みな、おつまみを食べ過ぎてパスタを食べ切れず四苦八苦。やはりご飯は先に食べ、お腹に余裕があったらお酒とアテをいただく、とした方がよさそうだ。

18時頃からラジオで紅白歌合戦が鳴り出すも誰も聞いていない。

19時半頃就寝 なんだか妙に暖かい感じであまりよく眠れなかった。

朝日が昇ってきた。稜線の陰が背後の山々に映る







中岳に朝日が当たる。あぁ、見たかった。


























雪は締まりトレースもあり、できすぎ、な状態
















笠ヶ岳














お約束の富士山!元日じゃなくて大晦日の、ですが。










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