2020年9月20日日曜日

昔日山行話 2005年5月の剱岳(2999m)

2005年5月3日〜5日には剱岳へ春山山行。ちなみに2011年の夏に八ツ峰に岩登りに行くまで、剱には雪のある時しか登ったことがない、というのが隠れた自慢でした。

春山山行前は、ほぼ毎週トレーニング山行。オーバー手袋とアイゼンをつけての岩登りの練習、20キロ超の荷物を担いで六甲山で歩荷歩行、などなど。
プラブーツで歩荷したら両足のかかとが靴ずれで真皮まで皮がずる剥けになるという惨事にも見舞われました。最初に行った皮膚科では女医が、気持ち悪そうに見ながら&半笑いしながら「もう少しで真皮もずる剥けだったわね〜」の一言で診察が終わり。二度とこの皮膚科に行くことはありませんでした。
その後、別の科で受診した総合病院で、飛び込みで皮膚科を受診したら、これまた女医さんで嫌な予感がしたのもつかの間、しっかり診てくださっった。患部を保護できるよう、市販されていないクッション性のある当て布のようなものをこっそりくださいました。(15年前の話だから時効だよな?)

で、本番までに靴擦れも治りいざ出発。
3日とも快晴。ルートは、立山からケーブルとバスを利用して室堂、雷鳥沢、剱御前を通って剱沢小屋付近でテント設営。翌日頂上往復、3日目に同ルート下山。


春山で恒例の雪上訓練は、どこでやったっけな?剱沢の斜面でやったのかな?滑落停止などをしましたが、のちに考えたことは、滑ってしまったら終わり、ということ。とてもじゃないけど、滑った瞬間にピッケルを雪に差して自分を固定しない限り、滑り出してしまったら停止できる可能性は限りなく低い。

天気がいいので、訓練後はテントの外で頂上を愛でながら宴会をしたりして過ごす。雪がある山にテントがたくさん張られていて、こんなにたくさんの人が雪山登山とかしてるんだなぁ、と目から鱗だったり。

翌日、夜明け前から起床。ルートは夏山とは少し異なっていたと思う。
これからすごい斜面(武蔵谷横の斜面か?)を登る、という前にハーネスを装着。ここで私はやらかしてしまった!結局、ロープを結ぶことはなかったが、アルパインハーネスのレッグループのバックルをカッチンするのを忘れてしまった。頂上から下りて剱沢の安全地帯に戻った時に気付いた。要は、腰のところだけでハーネスを装着していたのだ。よくまぁ、ハーネスが落ちなかったこと!ほいでもって、もしロープをつないでいて、万が一滑落でもしていたら...。こっそり冷や汗をかきました。

カニの横バイも「こわい〜!」と言いつつ笑いながら通過。快晴の頂上で休憩。目の前の後立の山並みに感動。
二双峰が顕著な鹿島槍ヶ岳、左に五竜岳、左端に唐松岳が見えました。

帰りの縦バイもこなして(とはいえ鉄梯子をアイゼンで下りるのはちょっと緊張した)平蔵谷の上端に着きました。
平蔵谷の方を向いていますが、足元が切れておりすぐそこがどうなっているのかさっぱり分かりません。そんな時、隣にいたスキーヤーさん2人か3人が、視界からいなくなったかと思うとさ〜〜っと滑って行かれました。少ししたら姿が見えましたが、そこまで姿が見えないということは...結構な急斜面ということですね。

会長の号令のもと、この谷を下りることになりました(↓)。途中、立ち止まってこの季節は「ブロック雪崩」に注意をしなくてはいけない、ということも教わりました。平蔵谷の場合は、下る場合、特に左側からの落石や落ちてくる雪の塊(ブロック雪崩)に注意を払え、とのことでした。

谷の一番底まで着いて休憩。ここからテン場まで長い長い登り返し(↓)

今だに覚えている辛かった登り返し。早朝出発だったので雨具を着たままだったのが悪かった。とはいえ、当時は衣類調整をしてもいいのか=そのために歩行を止めていいのか、脱ぎ着するタイミングなど分からず、会長が雨具を着ているとそういうもんなんだ、と思いそのまま歩き続けた。もぉあかん、しんどい!の寸前でテントに戻った。

今思えば、なんでもベテランさんの真似をしとかなくてはと思っていた。素直やったんやなぁ。