2012年12月30日日曜日

ヨーロッパの続き その10 メンヒ南東稜

やっぱり続きを書くことにする...

2012年8月20日(月) 晴れのちくもり(山は雷とみぞれ)
5:50 起床 7:00 出発 7:17 ユングフラウヨッホ行き電車 9:00 ユングフラウヨッホ着
9:40 駅出発 10:18 南東稜取付 12:30 メンヒ頂上 14:30 南東稜取付 14:45 メンヒヒュッテ着
19:00 夕食 20:00 各々就寝

ユングフラウヨッホの駅まで3つの駅に停車しながらアイガーの山中を進む。グリンデルワルドの駅で列車進行方向に座り、アイガーの北壁を見ながら上に行くつもりだったが、次の駅のグリンデルワルドグランド駅で列車の進行方向が反対になる。しまった、と思ったがこの駅から山の上で働く人達がどっと乗ってきてほぼ満席状態になり席が変われず。

途中のアイガーワンド駅で一旦下りる。アパートから見えていた小さい窓からグリンデルワルドの街を見下ろす。ある映画では、ベランダのようになっていて外に出れたがやはり事故とか多いのか?外には出れず窓はガラス張りになっており外を見るだけになっていた。
グリンデルワルドの街はこじんまりとしているが、ツェルマットよりも大きい谷間に広がっているのでそれより大きい街のように感じる。

ユングフラウヨッホ駅に到着。窓から外を見るとユングフラウに登っているパーティが数組見えた。ロビーのようなところで身支度をするが、どこから雪原に出れるのか迷う。近代化された駅の中を5分ほど歩いてやっと出れた。陽の光がまぶしい。天気が良く、電車の中から見た雲の流れは嘘のようで念のために着た雨具が暑いので早速脱ぐ。

メンヒ小屋まで整備された雪道なので気軽に、ハイキングがてらに来ている人達が多い。マッターホルンのヘルンリ小屋までのように小屋まで行ってお茶したりランチを食べて帰る人が多いようだった。日本の山の感覚との違いを感じる。暑いので半袖、五分丈のパンツの人もいた。

資料のコースタイムより早く南東稜取付に到着。見上げると岩稜帯なのでヘルメットとハーネスを着用。ロープはつながず。アイゼンもこの時点ではまだつけず。20分位登ると雪が出てきたのでアイゼンを装着。ルートは穂高の冬山のようだったので、このくらいならロープにつながずに行けるだろうと2人共フリーでトレースをたどる。

雪稜を少し行くと岩稜帯が出てきて、少し登るとまた雪稜になりここから頂上まで、両端が切れ落ちた細い雪稜を登る。頂上に付くと6人ほどが休憩できるスペースがある。15分ほどいて引き返す。13時から14時になると気温が高くなり雪がくさって歩きにくいので慎重に下りる。

14時半頃、南東稜の取付に戻る。そこから目の前のメンヒ小屋まで10分ほど。小屋には下足ルームがあってここで靴をゴムスリッパに履き替えて小屋の中に行く。登山靴で歩くと足音が響くのでこの方がよい。足も軽いし。

15時にチェックイン。ビールを飲んで過ごす。飲みながらこれまでの記録を書く。テーブルの上のフラワーアレンジメントの色使いが絶妙。写真を撮る。


16時前から雲が広がり空が真っ黒になってくる。16時半頃、雷鳴を聞いた気がする。記録を書き終え昼寝のためベッドに上がる。18時半頃起きると外はみぞれが降っていた。

夕食はスープ、ジャガイモの煮っころがし、大きな皿にインゲンの煮びたし、ブタの角煮のスライス、ソーセージ。これを1つのテーブル、8人くらいで分ける。デザートはストロベリーアイスだった。

ご飯を食べて20時過ぎにベッドに入るが昼寝が長すぎたのかなかなか寝付けなかった。

メンヒ小屋データ(2012年8月時点)
1泊、夕食のみ付52CHF
ビール大(生ビール) 6.00CHF
ビール小(生ビール) 5.00CHF
夕食は19時から。朝食は3時半から4時までと6時から6時半までの2回。
翌日の行動内容によって時間が選べるがメニューはパンとスープだったので、持参した方が安くつくか?
この小屋は水が豊富に取れるようで、翌日の行動用の水分(砂糖入り紅茶)をいただける。夕食時に水筒を食堂の決められたところに置いておく。似たような水筒、携帯水筒バッグがあるので、名前を書いておくか目印になるようなテープを付けておくとよい。
宿泊は事前に予約をした方が望ましいようだ。私は前日、グリンデルワルドから公衆電話で予約した。

電車を降りるとある標識。一気に3400mまで上がる







ヨーロッパアルプスで最長のグレッチャー氷河

南東稜下部 優しい岩登りだ
南東稜上部 登ってくる人とのすれ違いに少し緊張する
夕方の雷雨の後、虹が少し見えた 

2012年12月23日日曜日

2012年も終わりに近づき...

お久しぶりです。
夏のヨーロッパ山行の記録が途中で終わってしまって、それ以降全く書き込む時間がなく12月23日になってしまった。今年を振り返ると、本当に充実した1年だった。マッターホルンは頂上に立てなかったけど、いい経験、思い出になったことは確か。景色はよかったし、ご飯もおいしかったし、山のことだけを考えていれた、本当に幸せな2週間だった。
来年は高い山じゃなくて、国内で色々と岩登りをしてみたいと思う。

新しい生活も始まり、この1ヶ月、落ち着いてヨーロッパの続きを書けるかと思っていたが、毎日がばたばたとしなくてはいけないことが山積みでやっと片付けた...いや、まだ片付いてないこともあるな。でも、とにかく年を越せそうだ。

来年は新年早々、もぉ、行きたくて行きたくて仕方ない山に行く予定。さて、天気はどうかなぁ。久しぶりなので荒れないことを祈る。

今年も色んな人に支えられて1年を過ごせた。本当に感謝。来年もよろしくお願いします。


2012年10月3日水曜日

マッターホルン登山その9

2012年8月19日(日) 晴れ 日程9日目

前日は、失意の中、アパートに帰り登頂祝いのために買っていたビール、ワイン、チーズ、生ハム、サラダにパンと二人で飲んで食べ尽くした。色々と話をしたが、悔しいような悲しいような、心にぽかんと穴が開いたような...。

そして翌日。この日の朝はやや気持ち悪い感じで起床。やはり飲み過ぎた。

さて、どうするか?今、借りているアパートはこの日まで。アパートの玄関に誰が何日まで滞在、と張り出しがあるのだが、この部屋は明日、月曜には借り手があるらしい。もう一度マッターにトライするのであれば、とりあえずこのアパートは出てあと数日滞在できるアパートを探す必要がある。もしくは、マッターに登頂できたら、ということで考えていた、グリンデルワルドに移動してこの街を拠点にしてメンヒとユングフラウに登る案を実行するか。

とりあえず起きてパッキング。

8時半過ぎ、アパートを出て駅前に向かい、まずは天気予報のチェック。
この一週間は、グリンデルワルドはあまり天気がよくなさそう。対してツェルマットは天気がよい。
観光センターの前、駅前広場で座り二人で話をする。途中で食べたかったアイスクリームを買いに行き、朝からアイスをなめなめどうするか、もう一度アタックするなら...、グリンデルワルドに行きたいか...、何をしたいか...、どういう気分か...などなどすっきりするまで話をする。

この日も快晴。たくさんの人が頂上目指して登ってるんやろうなぁ。さぁ、どうする?気力と体力。気力はあるが、実際登り出したら体力が残っていないことを実感するだろうなぁ。でもなぁ...。

ふと、グリンデルワルドに行くならと思い列車の時間を確認しに行った。あと10分後と30分後に電車が出るタイミングだった。それを相方に伝えると...。

「行きましょう、次の場所に行きましょう。マッターはやめましょう。もしあと1週間、時間があって休憩できるなら気分も体力もリフレッシュできて再挑戦もできるけど今の状態では私は駄目かも知れない。だとしたら、初めてのヨーロッパ旅行やし、違うところにも行きたい。」
グリンデルワルド行きの電車に慌てて乗った。

グリンデルワルドの街は、ツェルマットより広い空間に家やホテルが点在してる。ツェルマットは渓谷の小さい街、という感じだったがこちらは開放感がありまた違った趣の街だった。

駅前にある観光センター(日本語OKの観光センターは閉まっていた)に行って今日から泊まれるアパートを探すと、4人用の2ベッドルームのアパートがこの日の朝、格安で貸してもいいわよ、と大家さんから連絡があったそうだ。この部屋が一番安かったので、この部屋にするも大家さんに連絡を入れてもらったが電話に出てくれない。とりあえず、地図(すごくアバウトな観光用散策地図)に印を付けてもらってアパートに向かった。







アパートまで、すごい坂である。下りやからええようなもんの、この荷物背負って帰り登るの、かなりきついでとすでに帰りの心配を始めている。が、アパートと大家さんを探すのに苦労した。

やっとのことで大家さんに出会い部屋に案内してもらう。予想以上に広いアパートで、ベランダからは...

どうだっ!アイガー北壁が目の前に見えるよ〜〜〜〜。めちゃくちゃいいロケーション。

荷物を置いて、駅前まで歩きに行き、次の日から1泊2日で山にあがるので、メンヒ小屋の予約、ユングラフヨッホまでの往復の電車チケット(混む時期なのでできるだけ事前に購入しておく方がよい、と観光局の人に言われたので)、そして食材の買い出しにあの坂を登り返す。

駅前が中心地で、ここにコープがあり買い物をする。日本の山道具店もあるぞ。お土産なども見ながら観光センターに行って切符を買って(手違いがあってはらはらしたけど)家に帰る。

夜になるとアイガー北壁の壁に明かりがぽつぽつと点いた。一番上のリッジにあるのがミッテルレギ小屋の明かりで、その下に斜めに続くのは、アイガーの山の中を走っているユングフラウ行きの列車の途中駅の窓だ。

ふと思い出すマッターホルン。なんだかもぉ1週間も2週間も前の話のようだ。



2012年10月2日火曜日

マッターホルン登山 その8

2012年8月18日(土) 晴れ


5:40 起床
6:00 ソルベイ小屋発
11:00 ヘルンリ小屋着
12:30 ヘルンリ小屋出発
14:30 ツェルマット帰着

5時半頃、小屋の窓から差し込むうっすらした光に目が覚め寝ぼけた頭で、イタリアチームより遅く出てしまうとまた前日のように下降に時間がかかってしまうと考える。相方を肘でつつき、こそっと話をしてすぐに出発することに。とりあえず荷物を小屋の外に出して準備する。

4時20分にヘルンリ小屋を出たガイドパーティが6時にソルベイに到着
昨夜はもぉ下りよう、と言ったのに、ここから見上げる頂上はこの日も綺麗に晴れ渡り、おいでおいで、と誘っているよう。準備しながらじっと見つめて考える。私の優柔不断の虫が動き出す。もう一度、ここから再度頂上を目指せないか?相方に言ってしまった。相方はその気満々。行きましょう、と言う。行きたい、と言う。行きたいよね。行きたいよな。でも、水はない、パスポートはヘルンリ小屋で人質に、これ以上下山が遅れると救助隊などが出動したらかなわない=面倒なことは避けたい、そしてなにより気力があっても登り出すときっと体力が落ちていることに気がつき、前日よりも遅くなることは分かりきっている...ということでやはり下ることにした。この時点でガイド登山の先頭集団、1番目のパーティが到着した。2番目のガイドにはアジア系の女性がついていたが、かなりしんどうそうだった。



ソルベイ小屋に上がるのにガイドパーティも順番待ち
ぼっちら懸垂しつつ下降を始める。小屋直下を下りきるまではルートがはっきりしていたが1つ目の支尾根を越えた辺りから道が分からなくなる。登ってくる人を見てその方向に下りて行ったが、今度は2つ目の支尾根の次が全く分からなくなってしまった。この時点でかなり時間が経っている。あっち行ったり、こっち行ったり。イギリス人のカップルとすれ違う。言葉を交わす。前日、頂上に届かなかったことを言うと、ため息をついていた。自信がないのだろう。でも、この時間にここだと私達よりは可能性がある。
次に韓国人の6、7人のパーティとすれ違う。この人達も道が分からなそう。言葉が分からないので、挨拶だけしてすれ違う。ここでイタリアチームに追いつかれた。そっちとちゃうやろう、という方向へ「道がある。」と言うのでついて行ってしまったらやっぱり違っていて、登り返すはめに。しもた!こういうところは自分を信じるべきだ。
登り返して改めて上から見ると、踏み跡を発見。そこをたどるもどう考えても登りに使った道ではない。でも、しっかりした踏み跡なので間違っていないだろう。この先から2回懸垂して第1クーロアールまで出る。ここからは簡単なルートでヘルンリ小屋まで歩いて下り、11時過ぎに小屋に帰着。パスポートを取り返す際、前日はどこで寝たのか?と聞かれ、ソルベイ小屋、と答えるとソルベイ小屋は20CHFかかるのよ、知ってた?と言われ、知らんと答えたもののしっかり徴収された。イタリアチームは徴収なしで下山していった。

この後、先ほどのアジア人の女性が戻ってきて食堂で片付けをされていたので話しかけてみるとツェルマット在住の日本人の方と判明。半時間ほど話がはずんだ。
現地ではハイキングガイドをされているということで、一度マッターホルンに登りたいということで1年ほど前からトレーニングをしてこられたという。登れて大満足だが2度と登りたくないという。私たち2人がノーガイドで登ったことにいたく感心されていたが頂上に立てなかったのだから感心にも何にも値しない。今度はガイドを付けて登ったらいいのよ、とおっしゃっていたが、それはどうも違うのだ。頂上に立ちたい、というのはもちろんある。けど、それはガイドに連れて行ってもらう、ガイドについて行くだけで立ちたいのではなくて自分達でルートを見つけて登りたいのだ。そんな話をしたが、相方は「登れなかったから負け惜しみにしかなりませんけどね。」と付け足した。ま、その通り。

この方とは、下山後、再度街中で会い、立ち話で盛り上がったが、再度、ガイド付きで行ったらいいのよ、とおっしゃる。が、やはりガイド付きではあまり面白くなくて頂上に立つだけならとっくにそうしている、と負け惜しみなく思うのである。

なにはともあれ、2012年の夏は終わってしまった。あれだけ恋い焦がれてきた山に振られてしまった。

ヘルンリ小屋からシュワルツゼーまでのハイキング道で。
振り返ると〜、そこには麗しき容姿のマッターホルンが〜...さいならっ!



2012年10月1日月曜日

マッターホルン その7

2012年8月17日(金)

はや1ヶ月以上が経ってしまった。更新せな、と思いつつ、次の人生のビッグプロジェクトの準備が忙しくすでに10月に入ってしまった。が、まぁ、こんな私の山行記録もどなたかのお役に立てるだろう、ということでめげずに更新いたします。

天気 晴れ
3:30 起床
4:30 出発
10:29 ソルベイ小屋
11:40 オーバーモズレイスラブ
12:45 ショルダー
14:00 北壁側、撤退決定
19:00 ソルベイ小屋着、泊

あと200mで断念。12時タイムリミットを14時まで繰り下げ、ソルベイ小屋に不要なものを置いて行ったけどあかんかった。
ソルベイまでの道がものすごく分かりにくい。少し慎重になりすぎたところがあって、ちょっとしまったなぁ、という感じ。あとはやっぱりもう少し体力が必要やったかな、と。それと岩登り。相方は体力第一みたいに言うけれど、そんなことは基本の当たり前のことで、それに加えてやっぱりクライミング力=ルートファインディング力と万が一、ルートを間違えてもしっかり戻れる力、みたいなの。

なにはともあれ残念。もう一回再挑戦するか?と言われればよく分からない。

朝日が昇ってきた
 3400mから3600mの間違えやすいところでかなり時間をくってしまった。進行方向左方向に行き過ぎると東壁に行き過ぎで戻らなくてはならない。そうなった場合の無駄な時間を節約したくて迷わないよう、迷わないよう、慎重になりすぎた。当初はソルベイ小屋まではロープで互いを結ばずに登って時間の節約をしよう、と言っていたのだが、私達より1週前に登った知り合いの人に聞くと、「そうやって行けるど、万が一落ちたら終わりやで。」と言われ躊躇してしまった。
とにかく、ものすごく時間がかかった。ソルベイまで長くても4時間で行けたらいいな、と言っていたのだが実際は6時間もかかってしまった。

小屋で、登頂は無理だな、と思った。元々、12時(正午)まで行けるところまで行き、12時になったらよっぽど頂上に近いところにいてない限り下りる、という話にしていた。が、ソルベイ小屋で泊まるとを前提に、不要な荷物を小屋に残し、制限時間を14時まで延ばせないか?と相方が言う。それでもこのペースでは頂上は無理やなぁ、と思いつつ行けるところまで行ったら自分も納得できるよな、と思いこの案でいくことにした。

ソルベイ小屋から上のオーバーモズレイスラブ
この時点でガイドツアーのパーティはすでに頂上に登り下りてきてる。それを見ながら登る。なんとも情けないような惨めな気持ちだ。それでも14時まで登り続ける。そして日陰になり風がきつい北壁側に入った。
北壁まで届いたか...。
ここまでの東面のルートと違って風が吹き出し、気温がかなり下がる。急いで上着と手袋をつける。残雪も出てきた。

そして、14時。
時計の高度計で標高4200メートル後半。直線距離にしてあと200m弱。見上げると頂上は見えている。しかし、最後の鉄ばしごましでは届いていない。鉄ばしごが目の前だったら14時を少し過ぎていても行こうと思っていたが。
このペースだとあと1時間半から2時間...。日没に間に合わない。暗くなるまでに4000mのソルベイ小屋に到着しなくてはいけない。

「下りるで。」

名残惜しそうに上を何度も見上げる相方に言った。

東面から北壁側に入るリッジ

ここから登ってきたルートを下降するが、上からだとどこを登ってきたのか、ラインが見えない。かなり適当に下っていく。北壁側に残置されている残置支点を使いながら懸垂下降して行く。この時点で数パーティいたが、慣れている人はすいすいすいすい、っととっと下りて行ってあっという間に米粒くらいの大きさになってしまった。

下降していると、イタリア側のリオン稜を登ってきたイタリア人パーティーと一緒になった。この人達が使っている支点を使い、同じように下降していったが、中に初心者っぽい人がいてこの人の懸垂のセットが時間がかかりかなり待たされた。話をすると、この人達もこの日の夜はソルベイ小屋に泊まるらしい。この3人に他にリーダーのノンノの友人が数名、ソルベイ小屋に到着するらしい。

ソルベイ小屋に着いたら、前夜、ヘルンリ小屋であまり眠れなかったのもあり、何も食べずにすぐに寝てしまった。9時か10時くらいに数人到着し、その後、夜中1時頃くらいにあと2人ほど到着していた。そんなことは疲れてかまえずとにかく爆睡していた。





2012年9月12日水曜日

マッターホルンヘルンリ稜登攀

2012年8月16日(木) 雨(街)、曇のち晴(山)
マッターホルン、ヘルンリ小屋まで。

6:00 起床
9:30 ロープウェイ
10:00 シュワルツゼー出発
12:30 ヘルンリ小屋
13:00-15:30 ルートの下見
16:00 小屋チェックイン
19:00 夕食
20:30 就寝

朝起きてアパートのベランダから空をみるとやや雲がかかっているも、いつもあっという間に雲がなくなるのでこの日もそうだろうと思い、朝ご飯を食べたりして準備をする。

この日はいよいよ、翌日の登頂目指してベースとなるヘルンリ小屋まで上がる。上がるといってもそないに大げさではなくてロープウェイに乗り、2時間ほどハイキングするだけの話だ。着いたらその後はルートの偵察に行く予定。

8時過ぎに準備が終わったので出発しようとすると相方が雨が落ちてきてます、という。ベランダに出るとぽつりぽつりと雨が。えぇ〜、雨かいな!小降りやから待っとこうか、と思っているうちに本降りになってきた。
上の状況が気になるので、とりあえず観光センターと山岳センターに天気予報をチェックしに行こう、と8時半過ぎにアパートを出る。

観光センターはすでに開いててタブレット端末で予報を調べると、向こう3日は晴れ。山岳センターや知り合い、自身の経験から3日向こうまでの天気はほぼ当たる。が、この日は外れた。しかし、向こう3日は晴れの予報。でもこの日は外れたのでその確率に悩む。次に山岳センターに向かう。数分歩く間にも降る雨は多くなっている。
山岳センターは9時オープン。10分ほどセンター前の軒下で待つ。その間にも本降りになってくる。私たちの他にも、山岳ガイドらしき人やどこぞを登る感じのエキスパートな感じの人達が待っている。

9時ちょうどに開き、2階に上がりカウンターの人に聞く。
「今は雨降ってるけど、大丈夫。今日の昼からは晴れ上がるわ!向こう3日、土曜日まですっきり晴れよ!」と自信満々に言う女性。ここまで自信満々に言われると「えぇ、今、雨降ってんのに?」と聞き返す度胸はない。

半信半疑だがとりあえずシュワルツゼーまで行くことにした。相方はロープウェイのチケット売り場の人に上の様子を聞いていた。「雨降ってるみたいよ。でも昼からは晴れるって予報では言ってるけど私には分からないわ。」そらそーだろう。とりあえず、上まで行くことにした。

ロープウェイに乗って上がるにつれて雨がひどくなる。ロープウェイの速度で雨がひどいように思うのだろうが、それを差し引いても街より降っているのはたしか...。

シュワルツゼーに到着すると、誰もいない。マッターホルングレーシャーパラダイスに行く家族連れが間違えて下りてしまったくらいで、他には誰もいない。そして景色はガスの中...。

あーだこーだと相方と話をしたが結局小屋まで行くことにした。雨具を着て出発する。
途中で数パーティとすれ違ったので今日、登ったのかどうか聞くと上は曇りでルートが分からず途中まで行って引き返したきた、とのこと。ガイドはこんなのへっちゃらさ、と言って登って行ったけどね、と教えてくれた。

気分はダウン。うぅん、上はガスだが、歩いていると髪の毛が濡れてくるくらいのガス。岩が濡れた状態なら登りたくない。小屋までのハイキング道を行くのは私たち2人と親子1組、単独の若い男性1人だけ。途中で(おそらく留学か現地で仕事をしているだろう)日本人の女性に出会いちょこっと話をする。2人でマッターホルンに登る、というと「素敵!」と言われた。素敵...かなぁ。無事頂上に着けたら、やけどなぁ、と思い別れる。

12時過ぎに小屋に着く。小屋外のトイレに行くのに小屋の裏側に回りこむと、一昨日行ったオーバーガーベルホルン方向の山々が太陽の光を浴びて見えるではないか!おぉ!天気は回復傾向だ!るんるん気分で用を足し相方に伝えるべく小屋のテラスに向かう。

休憩をし、下見に向かうべく準備。

テン場には数張りのテントが張ってあった。日本のものと違い軍隊のような深緑色のテントが多かった。しかも重そうだった。

取付に向かうとちょうど2人パーティと3人パーティが下りてきていた。3人パーティの背の高い若い男性に話しかけてみた。そしたら...頂上まであと1ピッチだったけど、時間切れで下りてきた、とのこと。朝は曇っていたのもあり、かなり道が分かりづらく、ガイドにも「そんなところでなにしてるんや!さっさとこっちへ戻ってこい!」と言われた、などと話してくれた。男性曰く「とにかく、踏み跡がなくなったりガレ、ザレが多くなったらそれはルートから外れていると言うことだからすぐに戻った方がいい。」と。もっかい行くの?と聞くと「今んところはなんとも言えね〜。テントに戻って考えるよ。」とのことだった。

ここからは多くのウェブサイトやブログサイトで記録が載っているのではしょりたいと思います。が、下見を行ったものの、やはり自分好みのルートを選んでしまうんですね〜。もちろん、そちら方面にも踏み跡があるもんですから。結構切れ落ちた稜線で、行く先には杭があって支点が取れるもんですから行くべきかどうするべきか考えていると、ちょうど下りてきた人達がいて、話しかけると「そこはルートちゃうぞ〜。こっちやで〜。でも、ともかくちょっとわしらが下を通過するまでそこにおってくれへんか?君がいるところは浮き石が多いから落とされたらかなんからなぁ。」と言われた。
うぅん、小屋から少し上がったくらいですでにルートが難しいっていうか、間違えやすい...。少々不安がよぎる。

上を見上げるとまた違うパーティが下りてきた。そのルートをしっかり頭にたたき込む。で、とりあえず今いる場所からは下りた。すると、スペインチーム、ポーランドチーム、あともう1パーティが下見に来ていた。スペインチームの数人が私がいた同じところを上がろうとするので、「ちゃうで、そこ。私もさっき、そこ上がっていってん。面白そうなルートやろ?すやけどちゃうねん。そこちゃうでって下りてきた人に言われてん。正規のルートはな、あそこをぐるっと回りこんで...」と説明してあげた。
そこからは私達は、それぞれのチームが行くのを半時間ほど見ていた。

15時半過ぎに下りて小屋にチェックイン。そしたらガイドレスで登ると言ったらパスポートを出せ、と言われて下りてきたら返すからね、と人質に取られてしまった。不安が残る...。

そして次の日。いよいよ頂上を目指す日となった。


← ガスで展望がまったくない状態のハイキング道をヘルンリ小屋まで歩く。












←小屋の裏に回ると晴れ間が広がる。北壁の取付に向かうクレバス帯














下見で登るスペインチームの人達
小屋前からモンテローザ方面
夕焼けに輝く山々が何とも言えないくらい美しい





マッターホルン 写真右側を登って
行くのがヘルンリ稜

2012年9月8日土曜日

マッターホルン登攀 その5

2012年8月15日(水) 晴
4日目 ブライトホルン、再び

5時に起き軽くご飯を食べ6時過ぎにアパートを出てロープウェイ駅に向う。天気がよくマッターホルンの先が朝日に照らされ赤く燃えていた。こんな山が見れるとは、と興奮気味だったが写真を撮り終わると顔が引きつっていることに気が付いた。自分でも分るくらいに引きつっている。この日の順応にも失敗したらどうしよう、その時は相方をどうするか?色々と考える。

この日は相方に先に行ってもらうことにした。コースタイム通りの時間で歩いてもらう。先日はコースタイムの半分の時間で頂上まで行って往復してしまったので今回はゆっくり行くことにする。

2日前と同じ様にこの日の朝も中高生達で混んでいた。2日前にもいた子を見たので1週間程滞在しているんだろう。だとしたらよほど裕福な家の子達なんだろな。

それはともかく。今までにない緊張感を感じながらロープウェイに乗り、マッターホルングレーシャーパラダイスのあるクラインホルンまで上がる。

2日前と同じ様にロープとアイゼンをすぐに着け歩き出す。「ゆっくり、ゆっくり...。」自分に言い聞かせる様にして歩く。

斜面の基部で休憩する。ここからが核心。ゆっくり、ゆっくり登って行く。片道1時間弱かけて頂上に到着。調子はすこぶるいい。が、ここを下りてからが問題となる。10分ほど休憩してこの日は登りと同じルートを下る。
晴れているが、雲が湧くのが2日前より早い。斜面と反対側に広がる雪原の向こうには、山ごと飲み込みそうな大きな雲がゆっくり動いている。日に日に天気が悪い方向へ向かっていることを感じる。山岳センターの人が言っていた、金曜は天気が悪くなるという言葉を思い出す。

マッターホルンにも雲がかかっている。とはいえ、今日も沢山の人が登っているんだろうなぁ。

下りもコースタイム通りゆっくり下る。ロープウェイ駅のトンネルでギアを外して町に戻る準備。この日はここまで戻って来ても頭痛がまったくない!おぉ、かなりいい感じ!食欲も多少あるが戻すのが怖いので行動食をそぉっと、少しづつ口に入れる。

この日は帰りもスキー合宿の子達と一緒になったのでロープウェイに乗るのに二巡待ち。でも標高の高い所にいればいる程いいので気長に待つ。

この日も一度乗り換えただけでツェルマットの街までノンストップで下りて行く。上がりは2回の乗り継ぎがあるのに。今、乗っているラインが朝と同じラインなのか違うのか、相方と2人、どうしても理解できない。ま、ええか。

そしてこの日は観光客も多くいた。インド系の人が多く、現地に住んでいるのかインドからの観光なのか分らないが日本にはない景気のよさを感じた。

ツェルマットまで下りてきた。頭痛は...なし!吐き気もなし!食欲あり!ということで順応成功。よかった。

いよいよ次の日に上がって2日後には頂上を目指す。2日後、頂上から下りてアパートに戻る時間が分らないので「登頂祝杯用」にビール、ワイン、チーズ、パン、生ハム、野菜などを買いに行く。その前に観光センターに寄って天気予報を確認する。土曜日まで晴れマークが並ぶ。これで、予定通り挑戦することが決まった。


← 前日にはこのオーバーガーベルホルンの山々が間近に見えるところまでハイキングに行っていたのだ。

ちょうど写真右下に見えるツェルマットの街の辺りから伸びている谷間を歩いていったのだけど。ちょっと小さい過ぎて分かりにくいかな。

2012年9月7日金曜日

マッターホルンヘルンリ稜登攀 その4


2012年8月14日(火) 晴れ
4日目 トリフトヒュッテハイキング

前日、夕食時には頭痛もほとんど消え、ご飯を食べれた。そして今後のことを話し合った。私としてはやはり最初に決めた計画通り、もう一度初めからなぞることを提案。
最初の計画  月曜 ハイキング
火曜 ブライトホルン 高度順応
水曜 ヘルンリ小屋まで
木曜 頂上狙い
金曜 予備日
土曜 予備日
日曜 移動日

こうなると、もう一度ブライトホルンに登らなくてはならない。というのもツェルマット周辺で比較的アプローチが容易で私が知ってる4000mというのがブライトホルンだからだ。
それに、私は必要であれば、その目的にかなっていれば、同じ山に登ることは別に苦にならない。一度登ったからもぉいいや、っていうのは、私個人あまり思わないのである。ま、今回は順応に失敗したからもっかい登らなくてはならないのだが。
が、相方は少々違う。一度登ったところにはあまり登りたくない、という感じ。気持ちは分かる。が、今回はもう一度登っていただかなくてはいけない。話をするが、彼女はどうも乗り気でない様子。

で、心理作戦に出た。おそらく私がここで元々の計画を「なぞる」ことに固執しブライトホルンに再度登ることを強く主張したら彼女は余計に違うところを登りたい、と主張するだろう。なので、さらりと3000m後半の高さの山の名前を2つほど言う。色々と彼女なりに考えている様子だがとりあえずそのうちの1つに決めた。ただ、それで高度順応になるのかどうか?彼女としても疑問があるようだ。私としては、まぁ、4000m以上に登りたいけれど、昨日はしんどかったけど一旦は登っているので、とりあえずどこかに登ったらなんとかなるかな。でもやっぱり4000mは越えておきたい、という考え。

しばらくして、彼女が言い出した。やっぱりブライトホルンに行きましょう、と。成功である。やはりここは3000m後半よりは4000m以上の山に登っている方が高度順応になる。

ということで、この日はハイキングで足慣らし、15日(水)はもう一度ブライトホルン、そして木曜と金曜でマッターホルンに挑戦する、ということになった。

この日はツェルマットからトリフトヒュッテを往復するルート。彼女の山岳会の方から借りたハイキングルート集に載っていたルートで、往復4時間と歩きごたえがあり、高度もそこそこ上がるコース。

朝は少し曇っていたがみるみる間に晴れていい天気に。
ルート本によると歩く日本人は少ないが現地のハイカーには人気の、お花がいっぱいのルートということである。ツェルマット北側の切り立った崖の上に立つエーデルワイスヒュッテ(借りていたアパートのベランダから正面上に見える)を通り、トリフト川沿いをトリフトヒュッテまで登る道だ。

ツェルマットの街の真ん中辺りから急坂を登り始めると老夫婦が数組歩いている。抜かして先を行く。民家やホテルの間を抜けると目の前に突然広がる草原。うわ、すごい。一気にアルプスの世界だ。そしてお花が咲いている。心が和む。

分岐で立派な道しるべが立つ。簡単に行き先と距離、所要時間が英語で書いている。まずはエーデルワイスヒュッテまで。アパートのベランダから見ているとどこをどうやって登って行くのか不思議だったが、そんなに急でもない普通の山道がついている。途中で岩登りの練習岩場があった。ペツルもちゃんと設置されていてギアがあったら登ってみたいなぁ。

そんな話をしながら進んでいくとエーデルワイスヒュッテに到着。
先ほど抜かした老夫婦は、岩場のところで追い越されすでのヒュッテのテラスの一番街側となる奥のテーブルに座って何か注文していた。ツェルマットのこじんまりとした街を眼下に見てのコーヒーとケーキもおいしいだろうなぁ。

ここからは一本道。道が続く通りに行けば迷うことはない。急な登りではないけれど結構歩きごたえのある道が続く。先を歩いていた若い女性2人に追いつく。右手の斜面から流れ出る小川の水を口に含んだりして、1人はすこしバテ気味だ。

10時15分頃、トリフトヒュッテに到着する。裏手は広がる草原。その奥にガーベルホルン氷河が見える。氷河の奥にそびえるガーベルホルンなどの山々。時々雲がかかってピークが見え隠れするがかっこいい山だ。

先ほどの2人の女性は、先に到着して草むら横に座って休憩していた2人と合流した。どうやら仲間のようだ。ちょっと休憩すると4人で小屋の北側の斜めに上がるルートに向かって歩き出した。ルートの先は斜面の上で向こう側につながっているようだ。どこに行くんだろう?

小屋の正面には昨日登ってたたきのめされたブライトホルンからゴルナーグラード方面の稜線が見える。綺麗やなぁ。大きいなぁ。広いなぁ。

20分ほど小屋の前でゆっくりして登ってきたルートを下りることにする。すると、登ってくる人が続々。あら、静かな山道と思っていたら結構登ってくる人達がいるんだぁ。

下り始めようとすると、ガイドさんかな?小屋の人かな?が話しかけてきてくれて、先ほど4人が進んだあの斜面のルートを行くとマッターホルンを正面に見ながら歩けるルートがあるよ。行ってみたら?あと、プラス5時間位でぐるぅっと歩いてツェルマットに下りることができるよ、と教えてくれた。おぉ、なんだか魅力的なそそられるルートだわ。でも、そのコースはガイドブックには載っていなかったのでここまでの往復分の水と行動食しか持っていなかったので、ありがとう、とだけ言って下り始めた。

途中でアイゼン、ロープ、冬靴を担いで登ってくる体躯のいい男性達何人もとすれ違う。どこに行くんだろう?トリフトヒュッテから奥のガーベルホルンの方へ行くのかな?どこ行くの?と聞いてみたいけれど、特に目が合うわけでもなく挨拶もないので聞きそびれた。

この日は無事、ハイキング終了。立てた計画を1つ1つこなすという行程がやっぱり安心するし楽しめる。

エーデルワイスヒュッテの前に植わっていたエーデルワイス。帰国してから知ったが、最近は自生のものが少なくなっているらしい。
そういえば、道端ではほとんど見なかった。


















2012年9月3日月曜日

マッターホルン登山その3

2012年8月13日(月) 晴れ
3日目 ブライトホルン(4164m)

朝5時頃起床
6時前アパート出発
6時20分頃 ロープウェイに乗る
8時前 マッターホルングレイシャーパラダイス(M.G.P.)到着
8時10分頃 歩き開始
9時40分頃 ブライトホルン頂上
11時30分頃 M.G.P.
12時過ぎ ツェルマット帰着

あまり良く眠れなかったので時間になるとすぐに起きる。どうもイライラしている。相方に八つ当たりをする。あかんなぁ、と思いつつ、どうも納得しない。けど、また計画を変えるのはどうしても気にくわないので、ブライトホルンに向かう。

6時前にアパートを出る。まだ少し薄暗い。犬の散歩をしてる人もちらほらいるがまだ街はひっそりしている。そんな中、ツェルマットのロープウェイ駅に着くと、中学、高校生くらいの子達がわんさか。ここだけえらくにぎやかだ。どうやらスキーの夏合宿みたいなのに来てるらしい。ユニフォームを見ているとスイスはもちろん、Germany(ドイツ)とかU.S.A.(アメリカ)のジャージを着てる子もいたようだ。

6時半始発だがこの大人数の為、15分ほど早めにロープウェイが稼働し始めた。この子達はパスを持っているのだろう。チケット売り場は素通りでどんどん乗っていく。するとチケット売り場も1つだけ開けてくれた。往復のロープウェイ料金、49.50CHF。先日書いた、セーバーフレキシーパスを持っているので半額のこの値段。助かる。

ロープウェイに乗り込み、2階乗り継いでM.G.P.へ到着。すでに3884メートル。多くのホームページやブログにも書かれているようにすでに富士山より高い。数字をみただけでくらくらする(ような気がする)。ロープウェイを下りるとひんやりとした冷たい100mほどのトンネルを歩いて抜け、雪原に出る。トイレは、雪原に出る手前にお土産屋さん&レストランがあるのでここのを使わせてもらう。

雪原に出ると、先行した学生達が遠くのゲレンデを滑っている。夏でもこれだけ滑ることができる環境ならそらウィンタースポーツ、強いわなぁ、と感心する。

ちょっと歩くと雪が固められていて滑りそうなので凍ってはいないがアイゼンを付ける。練習と言うことでロープもつなぐ。つないでから私が先に行く。

たくさんの人が登っている。雪原をロープをつないで歩いて行く人達。トレースはしっかりついているが、クレバスだけは気をつけなくては。天気もよい。

歩き出して平らな雪原を歩く。すでに気温が高いのが雪がくさってきている。

頂上へ続く斜面の基部へ来た。ここでアイゼンをつける人もいた。コース資料ではここでアイゼンをつける、とある。トレースを見ていると、少し登ってから左上にトラバース気味に進むコースと、右手に行き、そこからどうなるか、今立っているところからは見えないコースの2つがある。左上トラバースルートを行くパーティが多い。コース資料でもこちらの方が多い、と書いてあったのでこちらを行くことにする。

登り始めてすぐ、ゆっくりゆっくり歩くガイド登山のパーティがいた。後をついていこうか、とちらりと思ったが、抜かすことにした。ちょっとペースが早いなぁ、と思っていたが調子がよかったのでそのままのスピードで上がっていった。

次に6人ほどのパーティがいた。うちの1人がガイドに「あとどのくらい?」と聞いている。そうか、この傾斜を見ていてあとどのくらいで頂上なのか、なんとなくでも分からないのか。だけどガイドに頼めば、山頂には連れて行ってくれる。けど、それは自分で地図読みをするとかしないとか、それがいいとか悪いとかじゃなくて、こうしてガイドを頼んで山を登るのがこちらでは普通の山行形態の1つなんだな、と納得する。

この6人パーティも抜かしてしまい、頂上へ到着。
この時は普通に調子良く、写真を撮ったり行動食を食べたりして20分程山頂で過ごす。

帰りは、登ってきたトーレスと反対側のトレースとたどることにした。先ほど、傾斜の基部から見た、右手に行っていたルートだ。

少し歩き出すと、人幅くらいでトレースがある。おぉ!両端は切れ落ちている。右手は先ほどの基部へつづく斜面。しかし落ちてしまえば止まることなく行き着くところまで行ってしまうだろう。この下には確か、顕著なクレバスはなかったが落ちた弾みの衝撃でひょっとして雪面に穴が開くかも知れないので注意しなくては。
左手側は、すっぱり、これまたすっきりいさぎよく切れ落ちている。こちらは落ちたらいつどこで止まるのか、検討つかない。はるか下の方にツェルマットの街が見えている。行くわけないけど、あの辺まで転げ落ちて行ってしまいそうだ。

適度に緊張しながらこの細いトレースを進む。ずっと先には一度下り、そして再度上がっているトレースを歩くパーティが見える。好天気の下、4000mの山を楽しめる環境をうらやましく思う。

切れ落ちた尾根が終わったところから広い斜面を走るように基部まで下りる。そして、M.G.P.まで歩いて行く。この辺りから少々頭痛が始まった。

ヤバいなぁ...。

M.G.P.に着く頃には頭痛がひどくなってきた。がーん、がーん。まるで二日酔いだ。いつもそうだ。高山病の頭痛は二日酔いだ。何もいらない。食べたくないし飲みたくない。目をつぶってもくらくらするし、目を開けていても目が回るようでとにかく気分が悪い。

先ほどのトンネルで装備を外し、ザックに入れロープウェイに乗る。帰りは、ツェルマットの駅まで乗換なしの一直線。これにはかなり助けれらた。途中の乗換駅で待つ間、耐えられるかどうか不安だったからだ。ツェルマットの少し上の村、ツム・ゼーを通る頃には2人共、調子悪くロープウェイの箱の中でぐったり。

ツェルマットの駅についてとうとうしんどさ最悪に達する。ぎりぎりまで持たせてトイレに駆け込む。そして朝食から行動食、ここまで胃に入れたものを全て戻してしまった。

戻した後、胃はすっきりしたが頭痛がひどい。がんがん、頭を殴られ続けているようだ。なんとかアパートに帰り着きベッドに横になる。相方は先ほどまで少々辛かったようだが、回復している様子。

1時間ほど寝て、なんとか起きれそうだったので天気予報を見に山岳センターと観光案内所に行く。観光案内所にはタブレット式端末が自由に使えるように置いてあるので(ドイツ語と英語のみ。時々接続が切れていることがあった)、便利である。

向こう数日の天気は良さそうなのでとりあえず予定通り木曜にヘルンリ小屋に上がり、金曜に頂上を狙うことにする。ということでヘルンリ小屋に予約を入れなくては。しかし、コインが使える公衆電話がない、ということで、相方が山岳センターで借りましょう、というので、山岳センターで天気予報を聞きがてら電話を借りれるか聞くことにする。
「こないだのお姉さんやったら嫌やなぁ。絶対断われるよなぁ。」と言いつつ行くと、あのお姉さんがいた。もう1人いて、2人共電話をしている。もう1人のお姉さんに当たらないかと待っていたが、先日のお姉さんが先に電話をおいて声をかけてきた。仕方ないので、かくかくしかじかと説明すると「あらそう。じゃ、私がかけてあげるわ。今日はそんなに忙しくないから!」と言ってヘルンリ小屋に電話をかけてくれた。

なんだ、電話、かけてくれんやん。しかも、そんなに忙しくないから、って言うけどこないだもそんなに忙しそうじゃなかったよな、と2人でぼそぼそ話をする。すると電話を切ったお姉さんから驚愕の一言が。「金曜はね、天気悪そうなの。だから、もし金曜に上がらない、小屋に泊まる必要がない、と思ったら水曜の夕方までに連絡してね。」

え?金曜雨?観光センターの予報では晴れマークが並んでいたのに。

とりあえず、OKとThank youを言って山岳センターを出た。
不安がよぎる。金曜天気悪いって...。

斜面の顕著な線がトレース

頂上で。このあたりはかなり調子よかったのだが...
リスカム、モンテローザ方向
綺麗にトレースがついている
M.G.P.からの帰りのロープウェイの中から
写真を撮れるだけまだなんとか大丈夫だった

2012年9月1日土曜日

マッターホルン登山その2

2012年8月12日(日) 晴れ
2日目。

朝早くに目が覚めた。また寝ようと思っても寝付かれないので起きて腹筋を始めた。窓から外を見るとちょうど日が上がったところで、目の前のお家がとってもかわいくて写真を撮る。あぁ、外国に来たんだわ、と改めてわくわくする。

ホテルで朝食を食べると、食べ放題の朝食といえども1人18CHF。うぅん、高いな。ということで、チェックアウトしてKlotenという最寄り駅に向かう。日曜の8時前だからか人通りは少なく、街はまだ静か。駅に併設されている(改札がないのでいつの間にかプラットフォーム、その横にキオスクのようなお店が併設されているという感じ)お店に入り飲み物、パン、スナックを買う。パンが私の好きな硬いパンでもぉ、これだけで大興奮。

8時半前の電車に乗りツェルマットへ向かう。KlotenからZurich HB(チューリッヒ中央駅)、Visp、Zermattという乗換順。Vispからは登山電車になる。出発時間をゆうに15分は過ぎて出発。あぁ、ここは日本とちゃうかった。ゆっくり行っていいのだ。久しぶりの景色に懐かしいような、改めて景色を楽しむ余裕があって新鮮さもある。

12時過ぎにツェルマットに到着。観光地だけあって人が多い。アパートは14時にチェックインだがこのまま行くと少々早く着いてしまう。どうしようか迷ったがとにかく荷物が大きいのと重いのでとりあえずアパートに向かった。半時間ほど早く着いたが、アパートは綺麗に掃除されて用意されていた。ご飯を食べるテーブルと居間のソファの前のテーブルの上に薔薇の花が一輪挿しにさされて飾られていて、テーブルの上にはワインも1本置いてあった。Heart warmingなはからいに嬉しくなる。

荷物を置き、山岳センターに天気予報チェックに向かう。ついでに食材の買い出しも。
メインストリートでは人が集まっていて何かを待っている様子。そういえば、Vispからの電車にも楽器が積まれてて鼓笛隊のような制服を着た人達が乗っていたな。何が始まるのか、と思いつつ駅の方に向かって歩くと、農業、酪農、騎士、貴族、などの中世の服を着た人達がパレードで進んできた。アメリカでいう感謝祭のようなものかな?カウベルをからんからんと鳴らしたり、アルプホルンを吹いて担いでいる人とか。予期していなかったのでちょっと得した気分。

山岳センターに着き、向こう1週間の天気を聞く。ついでにホルンリ小屋の番号を聞く。向こう1週間の天気は木曜がなんだか悪いようで後は全ていい、とのこと。木曜はアタック予定日。うぅん、でも4日向こうだからなぁ、変わる可能性はある。小屋には自分で電話をして予約しろ、とのこと。自分の携帯持ってるけどなるべくなら使いたくないので公衆電話を探すことにする。

その前に駅前のCOOPに行って食料買い出し。当初は、2人分の食事を変わり交代で作り、食材も割り勘にしようということだったのでこの日はそのつもりで買うが、結局自分が消費するものなどと割り勘がややこしくなり、後日、それぞれ好きなもの、必要なものを買う、ということにした。この方が食べる量、好みが違うとなおさらいい。私と相方の場合は、そんなに食べ物の趣味が違わなかったのでよかったが。(酒好き、ハム好き、においのきついチーズ好き、パン好き、野菜好き、という。どこ行っても暇さえあれば飲んでいた。)

電話を探すも、どれもプリペイドカード式のものばかりで、ヘルンリ小屋にかけるだけの用でカードを買うのももったいないので、この日は諦めた。

次の日の月曜は、ハイキングの予定だったがアタック予定日の天気が悪いと言うことで、相方がいきなり高度順応でブライトホルンに行こう、と言い出した。彼女の方が私よりも高度に強いのでそう言い出したのだろうが、私としてはできればハイキングをしてから高度順応、そしてアタック、という出発前に決めた計画を変えたくなかったのだが、天気も気になる。しかし、それよりもやはり体力面で弱点がある自分がリーダーという、どこかしらずっと気になっていたマイナス面がここで問題となって表面化。計画通りに行きたい、と言いたいと思いつつ、彼女の自信満々な顔、強気の言い方に押された形で、次の日、ブライトホルン(4164m)に登ることになった。

夜中にふと目が覚め、自分の押しの弱さや私が高度に弱いのを分かっているのに計画を変更しようとする彼女の言動に妙にむかむかしてきて、そこから朝までよく眠れなかった。

チューリッヒ空港近くのホテル前のお家
色使いがとてもかわいい






















同じくチューリッヒのホテルの窓から見た東の空
新しい朝が来た〜、って感じ

ツェルマットのお祭り
重たいので最初に吹いてから持ち上げて行進


ツェルマットのアパート
スタジオタイプ、いわゆるワンルームです








何とかの車窓から、ではないですが
Vispに向かう電車の中から
ベルナー・オーバーラント山群かな?

2012年8月30日木曜日

マッターホルンヘルンリ稜記録その1

2006年の夏にモンブランに行き、その帰りに立ち寄ったツェルマット。そこから見えたマッターホルン。山を始めたばっかりで、名前は何となく聞いたことあるけど...レベルだった私が、その形に惚れちゃって、いつかは登りたいと思い会社の机にその写真を飾り、想いを馳せてきた山。

6年後、6年も待ってやっとチャンスがめぐって来たと、約1年間色々練習してランニングとかして体力もつけて挑んだけれど...。結果、あと200mで頂上に届かず。

雪も少なく天気も最高、ばっちりの外的コンディション。けれど自分がそのチャンスをものにできなかった。あぁ、まるで私の人生そのもののよう。ここぞというチャンスになぜか上手く行動できずに逃してしまう。そういう場面がこれまでの人生、数回あったような。

...ということで、この話で9月いっぱいは持たせるぞ、くらいの勢いです。延々、今回のマッターホルン話を続けたいと思いますので、お暇があれば読みに来て下さい。

まずは出発から。

2012年8月11日(土)
午前9時過ぎの大韓航空にて関西出発。ソウルのインチョン空港で乗り換え。景気がいい韓国らしく、空港は広くきれい。人もなんだかはつらつとしていて、行き交う外国人旅行者も多い。何より空港が明るい。天井は見上げなかったけれど、光を上手く取り込む設計なんだろうなぁ。

13時半頃 韓国出発。途中ウィーンで一度機内から出され1時間強待たされる。再度乗り込むとチューリッヒまで数時間もないのにサンドイッチが出される。食べるかどうしようか少々迷うが、明日からカロリーは消費する一方の日々が始まるのでいただくことにする。とりあえず今回の旅行の言い訳はこれにしよう。

21時頃チューリッヒに到着。入国審査、税関を通り表にでる。
ここでまず第一の関門。

スイスカードが購入できるか?である。
スイスカード、スイスパス、とかその種類は色々とあるのだが、空港から目的地往復の電車賃が正規料金よりはるかに安くなり、しかもケーブルやロープウェイの値段がほとんどの場所で半額となるお得なパス。出発前に調べてみると、なんでも日本で出発前にしか購入できない、と書いてあるウェブサイトの多いこと。しかし、出発間際で時間がないということで、とにかく現地で当たって砕けてみようと空港に併設されている空港駅(電車)のインフォメーションセンターへ。ちなみにここは23時まで営業しているとのこと。
必要なのはセーバーフレキシーパス(3日間)。1ヶ月の間に、空港と目的地の往復電車賃と、もう1日だけ好きなところに行く電車賃代がセットになって216CHF(1人)で購入できる。ただし、このセーバーは、今回の場合は相方と2人、ニコイチでどこでもかしこでも必ず一緒に行動する、というのが条件となっている。3人グループだったら3人はいつでもどこでも一緒が条件。これによって各人で購入するより少しお安くなる。

おそるおそるカウンターに行き、このカードが欲しいのですが買えますか?と聞く。すると、もちろん、と言ってあっという間にコンピューターからプリントアウトしてくれた。なんや買えるやん。
ただし、今回、ニコイチで動くのでパスは1枚だけ。パスの大きさは飛行機のチケットくらい。しっかりしたプラスチックの防水ケースに入れてくれた。しっかりものの相方によろしく、といって託す。

ほっと安心して、次はこの日宿泊する空港近くのホテルへ向かう。
無料シャトルバスがあるのでそれを利用。空港から近いようだが歩いて行くのは無理。荷物でかいし。
ホテルのレストランから美味しそうなピザの香りが。外のパティオでは週末と言うことで宿泊客がお酒を飲んでチューリッヒの夜を楽しんでいる。あぁ、美味しそうなにおいだぁ!が、先ほどの機内でのサンドイッチがまだお腹にあるので、少々高いが、部屋のミニバーからビールを購入。2人でとりあえず到着祝いをして早々にベッドに入った。

1日目、無事終了。


2006年撮影のマッターホルン。この写真を
見続けて闘志を燃やして来たのだが...


2012年7月4日水曜日

高度順応1回目 富士山

2012年6月30日(土)〜7月1日(日)

あと1ヶ月とちょっとでマッターホルン本チャン。と言いつつなんだか準備が進んでいない。ちょっと焦りだしている。

この週末は第1回目の高度順応富士山へ。
静岡まで私1人で運転はつらいので今回はツアー、しかも安いのをパートナーの玉ちゃんが見つけてきてくれてそれに申し込んで行くことにした。

まぁ、7月1日は富士山の山開きやけど、そうそう人おらんやろ、と思っていた2人はバスを見てびっくり。47人乗りの大型バスが最終のピックアップ駅、京都で満席になった。恐るべし、富士山。

6月30日の朝に関西を出発して夕方、山梨側の吉田口コース5合目に到着。素人もいるだろうが、いくら日が長いとは言え出発してから2時間ほどで日は沈み真っ暗闇に。いきなりのヘッドランプ(or 懐中電灯)での夜間登山だぜ。
山屋は慣れている(?)とは言え、素人にあの暗闇の中、溶岩が固まった段差を歩くのは辛いだろう、と思えども皆さん
そんなことは知らずにとりあえず富士山で御来光というのを目的に参加した様子。中にはチノパンみたいなんを履いてる人もいた。大丈夫か?

ペースはゆっくりで30分に1回、10分強の休憩を取る。3000mを越えた辺りから20分に1回となり、2時間40分コースタイムのところをたっぷり5時間かけて登った。お陰でしんどさ、まったくなし。
小屋に入るとさっさと寝る。開山日前夜、ということもあって寝袋はサラ、枕もビニールがしてあったけど巻いたばかりのようでとってもきれい。耳栓装着して夜中の2時までつかの間の夢の中へ...。

2時に起きる。玉ちゃん曰く「風も無くていいですね〜。」お、そうか。ではお手洗いへ。小屋の外へ出ると風、あるやん。ちょっと並んで用を済ませてトイレから出てくると、小雨降ってるがな〜!
山の天気は変わりやすい。
準備をして小屋の前で点呼を取る頃にはなぜか結構な雨風。ひえ〜、これでこの素人さん集団は出発するのか?とどきどきしていると出発した。ひえ〜。でも、10分進んで渋滞。進まない。それどころから上からどんどん人が下りてくる。ということで、同じツアー会社の関東地方チームとか中国地方チームと登る、登らないを同じにしないと不公平になるから(多分)ということで他の地域チームが下りているので私達関西チームも小屋に戻ることに。

小屋に戻ったら同じ寝場所に戻り、また耳栓装着して二度寝。4時頃(?)、ガイドさんが曇っていますが御来光が少し見えますよ、と言いに来てくれたが、いやいや、私は寝る、と寝続けた。

4時半に再度起床。5時に下山開始。途中から各々のペースで下りていいということで玉ちゃんと私はとっとと下りる。7時には五合目に帰着。残念ながらバスの中で3番目の帰着パーティーだった。

ツアーに入ったのは始めてだけど、至れり尽くせりでそれはそれでよかった。ただ、山岳会やったら普通に行ってるよな、という天候で行かないのはさすがというか、仕方ないか。とりあえず、国内2番目に高い北岳よりも高いところには行ったので、第一回高度順応はよし、としよう。次回は今月3週目。さて、どうなることやら。

行きの双葉SAで見たトッポ君






















富士山フレームの信号
八ヶ岳付近は八ヶ岳の形をしてる
山屋にはたまらん粋なセンス
















五合目手前から見える富士山

マッターホルンクッキー...これに関してはまた後日

2012年6月23日土曜日

梅酒

ここ2、3年、職場が同じNさんからいただく梅。お庭が大きくておじいちゃんが畑されてて、そのお庭にある梅の木から毎年収穫して頂くのです。そして今年もいただき...。早速梅酒にしました。3ヶ月置けば飲み頃になりますが、だいたい皆さん1年以上置いてじっくり梅の味を引き出すようですが、私はせっかち!なので、しっかりきっちり3ヶ月経ったらオープン!そいでもってストレートでぐびっと頂くのです。
でも今年は珍しく、去年のが少し残っています。あと少し、ですが、とりあえずあれは置いといて、こちらの12年もの(意味がちょっと違うが)と秋に飲み比べ!

そうか、3ヶ月経ったら残暑でそろそろ秋の気配ね、と言ってる頃か。時間経つの早いなぁ。でも楽しみがあれば暑い夏も乗り切れるし時間が経つのも楽しみの1つとなるのです。


2012年6月19日火曜日

桜鯛

春は桜鯛の季節だそうです。すでに6月に入ったので少し時期を外してますが、桜鯛お料理をいただきに兵庫県は赤穂市に行ってきました。
コースのメインはテレビ、いや、料理本でしか見たことのない塩釜。鯛の塩釜です。パンフレットの写真を見て盛り上がってました。


はい、これが桜鯛の塩釜。お塩がピンク色です。食紅か何かで色づけしてるのかな?
で、上の写真を見てお分かりのように、あらかじめ水平方向に塩釜を割ってくれてはるのですね。要するに蓋のようになっておりました。で、ぱかっと開けると...
















あら、小さい...。分かります?どこに「鯛」様がいらっしゃるのか。笹の衣に身を包み、真ん中にちっちゃい、ちっちゃい鯛様が寝ておられます。あぅ...。思ったより小さかった。

そして。お味の方は言いますと、しょ〜〜〜〜〜ぉっぱいっ!塩からっ!笹の衣に包まれていてもこれだけしょぱいのですから塩の衣に直にくるまれていたら多分5倍はしょっぱかったはず。
なので、鯛そのものお味はいまいち分からず。

帰りの電車の中では、ダカラにウーロン茶にと喉が渇いて&塩っ気排出の為に、利尿作用のありそうな飲み物をぐびぐび飲んでおりました。


2012年6月6日水曜日

フリークライミング

冬山が終わり、クライミングのベストシーズンがやってきました。梅雨入りまでの少しの間、新緑の間に吹き抜ける風が緊張の汗を乾かしてくれるとてもいい季節です。
裏六甲のフリークライミングの岩場である烏帽子岩に最近1週間に1度位で通っています。室内もそれはそれでたのしかったりするけど、やっぱり外はいいわ〜。自然の中で岩にしがみついてこんちくしょう、こんちくしょう、と自分を叱咤激励しつつルートに取り組んで完登した時のさわやかさ。やっぱり外で自然と戯れるのが一番楽しい。

台風3号は本州にはあまり大きな影響を与えず去って行きそうですが、なんだか梅雨前線をぐびっと引き上げるという余計なことをしてくれそう...。そろそろ梅雨入りか。また秋まで「すかっとさわやか」な岩登りとはおさらばだ。
山の中、街を離れても、西日本の岩場は暑いのである。

2012年5月25日金曜日

5月 春山にて

GW後半、剱に行った時。
剱御前乗越を越え剱沢に入った途端、がらりと変わる気温、空気の雰囲気。
思い描いていたルートの登攀は元より頂上も無理だろうな、と思わせる剱沢の雰囲気。
晴れていたらぐさぐさになって今日より歩きにくいだろう雪の上に一匹*の蝶が弱々しく羽を開こうとしていた。
GW前半はものすごく暖かかったからほんとの春だと勘違いして出てきてしまったのだろうか?
急に冬に季節が後戻りしてしまって、どうやらこの数日を過ごす体力は残っていないようだった。
はるかに私の命の方がしっかりしている。けど、助けることができない小さな命。助けるなんてそんな
だいそれことを人間という動物はしちゃいけない。なんでも助けるのがいいわけでは、ない。

山に登るようになって自分の生命、自分以外の動物、植物の命の存在を身近に感じるようになった。
今ここで一言で言うのはちょっと話を手短にしすぎだけれど、自分が生きてることを感じる為に山に登る。
これが私が山に入る一番の、そしていつまでも根底にある理由。山の高い、低い、easy、hard、は二の次。
寒さを感じてどうにかしようとする。私は自分が生きていることを実感し、楽しむ。

こう思うにいたった話はまた、いつか。






















*蝶々ってどう数えるんやろう?って調べたら生物学上では一頭、二頭、と数えるんだそうです。
参考までに。
「日本辞典」 http://www.nihonjiten.com/nihongo/kazoekata/index.html
「JapanKnowldge」 http://www.japanknowledge.com/contents/material/kze/html/column/column_kaz_10.html



2012年5月23日水曜日

春山 剱の写真

4日の夜、上市町内を夕食を食べるところ探して放浪中に見つけたこのお店。上市駅構内にあり、もぉこの名前、山屋にうってつけやん!と思って入ってみたら、夜は飲み屋さん営業だけで食事は提供していないそう...。残念。

しかし、上市駅はかなりさびしい雰囲気だったぞ。駅の看板も字が消えかけていたぞ。でもこのお店は繁盛していた。会社帰りのサラリーマンの方々が1週間終わってリラックスした様子で楽しそうでした。

これまたうろうろしてた時に車の中から撮った写真なのですが、雨が降っていたにも関わらず、夕日が見えて...。でもすごい黄金色!車のフロントガラス通しだから少しくすんだ感じになってますが、ゴールド、でした。こんな色の夕日を見るのは初めてだ。明日の天気はどうなるのだ?これは夕焼け?晴れの兆候?果たして...




そして日は2日飛んで5月5日。剱沢から脱出して雷鳥沢に戻ってくるとあらら、なんだかいい感じのお天気でした。太陽こそは見えなかったものの、雪面がうっすらと明るく風もなく雪はもちろん、雨もなく...。
但し、上空の風はものすごいきつかった。雲の流れが速いのなんのって...。
そして山スキヤーの方がいっぱいでした。スキーもできたら楽しいんだろーなー。



そして打ち上げ(気分は普通で盛り上がってなかったけど)で一泊した富山市内。路面電車が走ってます。カワイイ色遣いですが、この列車の前に通った電車は、真っ黒の真四角でイカツイ列車でした。走る鉄の塊、そのものでした。

ということで、2012年の春山終了!
2週目、3週目の週末も相変わらずマッターホルンに向けてと岩登りに励んでいる私でした。